検非違使けびいし 《 け びいし 》 に 問わとわ れ たる木たるき 樵きこり 《 きこ 》 り の 物語ものがたり
✦ Peekさよう で ござい ます 。 あの 死骸しがい 《 し がい 》 を 見つけみつけ た の は 、 わたし に 違いちがい ござい ませ ん 。 わたし は 今朝けさ 《 けさ 》 いつも の 通りとおり 、 裏山うらやま の 杉すぎ を 伐き 《 き 》 り に 参りまいり まし た 。 すると 山陰さんいん 《 やま かげ 》 の 藪やぶ 《 やぶ 》 の 中なか に 、 あの 死骸しがい が あっ た の で ござい ます 。 あっ た 処ところ で ござい ます か ? それ は 山科やましな 《 やまし な 》 の 駅路えきろ から は 、 四よん 五ご 町まち ほど 隔たっへだたっ て 居りおり ましょ う 。 竹たけ の 中なか に 痩 《 や 》 せ 杉すぎ の 交 《 まじ 》 っ た 、 人気にんき 《 ひと け 》 の ない 所ところ で ござい ます 。
死骸しがい は 縹はなだ 《 はな だ 》 の 水干すいかん 《 す いかん 》 に 、 都と 風ふう 《 みやこ ふう 》 の さび 烏帽子えぼし を かぶっ た まま 、 仰おっしゃ 向むかい 《 あおむ 》 け に 倒れたおれ て 居りおり まし た 。 何しろなにしろ 一刀いっとう 《 ひと かた な 》 と は 申すもうす ものの 、 胸むね もと の 突きつき 傷きず で ござい ます から 、 死骸しがい の まわり の 竹たけ の 落葉らくよう は 、 蘇芳すおう 《 す ほう 》 に 滲 《 し 》 み た よう で ござい ます 。 いえ 、 血ち は もう 流れながれ て は 居りおり ませ ん 。 傷口きずぐち も 乾いぬい 《 か わ 》 い て 居っおっ た よう で ござい ます 。 おまけ に そこ に は 、 馬うま 蠅はえ 《 うま ば え 》 が 一いち 匹ひき 、 わたし の 足音あしおと も 聞えきこえ ない よう に 、 べったり 食いついくいつい て 居りおり まし た っけ 。
太刀たち 《 たち 》 か 何なに か は 見えみえ なかっ た か ? いえ 、 何なに も ござい ませ ん 。 ただ その 側がわ の 杉すぎ の 根ね がた に 、 縄なわ 《 な わ 》 が 一筋ひとすじ 落ちおち て 居りおり まし た 。 それから 、 ―― そう そう 、 縄なわ の ほか に も 櫛くし 《 くし 》 が 一つひとつ ござい まし た 。 死骸しがい の まわり に あっ た もの は 、 この 二つふたつ ぎりでございます 。 が 、 草くさ や 竹たけ の 落葉らくよう は 、 一いち 面めん に 踏みふみ 荒さあらさ れ て 居りおり まし た から 、 きっと あの 男おとこ は 殺さころさ れる 前まえ に 、 よほど 手痛いていたい 働きはたらき で も 致しいたし た のに 違いちがい ござい ませ ん 。 何なに 、 馬うま は い なかっ た か ? あそこ は 一体いったい 馬ば なぞ に は 、 はいれ ない 所ところ で ござい ます 。 何しろなにしろ 馬うま の 通つう 《 かよ 》 う 路みち と は 、 藪やぶ 一つひとつ 隔たっへだたっ て 居りおり ます から 。
✦ Peek検非違使けびいし に 問わとわ れ たる 旅たび 法師ほうし 《 たび ほうし 》 の 物語ものがたり
✦ Peekあの 死骸しがい の 男おとこ に は 、 確かたしか に 昨日きのう 《 きのう 》 遇ぐう 《 あ 》 って 居りおり ます 。 昨日きのう の 、 ―― さあ 、 午うま 頃ごろ 《 ひる ごろ 》 で ござい ましょ う 。 場所ばしょ は 関山せきやま 《 せき や ま 》 から 山科やましな 《 やまし な 》 へ 、 参ろまいろ う と 云ういう 途中とちゅう で ござい ます 。 あの 男おとこ は 馬うま に 乗っのっ た 女おんな と 一いち しょ に 、 関山せきやま の 方ほう へ 歩いあるい て 参りまいり まし た 。 女おんな は 牟 子こ 《 むし 》 を 垂れたれ て 居りおり まし た から 、 顔かお は わたし に は わかり ませ ん 。 見えみえ た の は ただ 萩はぎ 重じゅう 《 はぎ がさ 》 ね らしい 、 衣ころも 《 きぬ 》 の 色いろ ばかり で ござい ます 。 馬うま は 月毛つきげ 《 つき げ 》 の 、 ―― 確かたしか 法師ほうし 髪かみ 《 ほうし が み 》 の 馬うま の よう で ござい まし た 。 丈たけ 《 たけ 》 で ござい ます か ? 丈たけ は 四よん 寸すん 《 よき 》 も ござい まし た か ? ―― 何しろなにしろ 沙門しゃもん 《 しゃもん 》 の 事こと で ござい ます から 、 その 辺あたり は はっきり 存じぞんじ ませ ん 。 男おとこ は 、 ―― いえ 、 太刀たち 《 たち 》 も 帯びおび て 居い 《 お 》 れ ば 、 弓矢ゆみや も 携 《 た ず さ 》 えて 居りおり まし た 。 殊にことに 黒いくろい 塗ぬり 《 ぬ 》 り 箙えびら 《 えび ら 》 へ 、 二に 十じゅう あまり 征矢そや 《 そ や 》 を さし た の は 、 ただ 今いま でも はっきり 覚えおぼえ て 居りおり ます 。
あの 男おとこ が かよう に なろ う と は 、 夢にもゆめにも 思わおもわ ず に 居りおり まし た が 、 真しん 《 まこと 》 に 人間にんげん の 命いのち なぞ は 、 如露じょろ 亦また 如電じょでん 《 に ょろやくにょでん 》 に 違いちがい ござい ませ ん 。 やれやれ 、 何ともなんとも 申しもうし よう の ない 、 気の毒きのどく な 事こと を 致しいたし まし た 。
✦ Peek検非違使けびいし に 問わとわ れ たる 放免ほうめん 《 ほう めん 》 の 物語ものがたり
✦ Peekわたし が 搦 《 から 》 め 取っとっ た 男おとこ で ござい ます か ? これ は 確かたしか に 多た 襄じょう 丸まる 《 た じ ょうまる 》 と 云ういう 、 名高いなだかい 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 で ござい ます 。 もっとも わたし が 搦 《 から 》 め 取っとっ た 時とき に は 、 馬うま から 落ちおち た の で ござい ましょ う 、 粟田口あわだぐち 《 あわ だ ぐち 》 の 石橋いしばし 《 い しばし 》 の 上うえ に 、 うん うん 呻 《 う な 》 って 居りおり まし た 。 時刻じこく で ござい ます か ? 時刻じこく は 昨夜さくや 《 さく や 》 の 初更しょこう 《 しょ こう 》 頃ごろ で ござい ます 。 いつぞや わたし が 捉 《 とら 》 え 損じそんじ た 時とき に も 、 やはり この 紺こん 《 こん 》 の 水干すいかん 《 す いかん 》 に 、 打出うちで 《 うち だ 》 し の 太刀たち 《 たち 》 を 佩 《 は 》 い て 居りおり まし た 。 ただ今ただいま は その ほか に も 御覧ごらん の 通りとおり 、 弓矢ゆみや の 類るい さえ 携 《 た ず さ 》 えて 居りおり ます 。 さよう で ござい ます か ? あの 死骸しがい の 男おとこ が 持っもっ て い た の も 、 ―― で は 人殺しひとごろし を 働いはたらい た の は 、 この 多おお 襄じょう 丸まる に 違いちがい ござい ませ ん 。 革かわ 《 か わ 》 を 巻いまい た 弓ゆみ 、 黒くろ 塗りぬり の 箙えびら 《 えび ら 》 、 鷹たか 《 たか 》 の 羽はね の 征矢そや 《 そ や 》 が 十じゅう 七なな 本ほん 、 ―― これ は 皆みな 、 あの 男おとこ が 持っもっ て い た もの で ござい ましょ う 。 はい 。 馬うま も おっしゃる 通りとおり 、 法師ほうし 髪かみ 《 ほうし が み 》 の 月毛つきげ 《 つき げ 》 で ござい ます 。 その 畜生ちくしょう 《 ちくしょう 》 に 落さおとさ れる と は 、 何なに か の 因縁いんねん 《 い ん ねん 》 に 違いちがい ござい ませ ん 。 それ は 石橋いしばし の 少しすこし 先さき に 、 長いながい 端綱はづな 《 は づな 》 を 引いひい た まま 、 路みち ば た の 青あお 芒すすき 《 あ お すすき 》 を 食っくっ て 居りおり まし た 。
この 多おお 襄じょう 丸まる 《 た じ ょうまる 》 と 云ういう やつ は 、 洛中らくちゅう 《 ら くち ゅう 》 に 徘徊はいかい する 盗人ぬすびと の 中なか でも 、 女好きおんなずき の やつ で ござい ます 。 昨年さくねん の 秋あき | 鳥とり 部ぶ 寺てら 《 とり べ で ら 》 の 賓頭盧びんずる 《 びん ずる 》 の 後のち 《 うし ろ 》 の 山やま に 、 物詣ものもうで 《 もの も う 》 で に 来き た らしい 女房にょうぼう が 一いち 人にん 、 女おんな 《 め 》 の 童わらべ 《 わら わ 》 と 一いち しょ に 殺さころさ れ て い た の は 、 こいつ の 仕業しわざ 《 し わざ 》 だ とか 申しもうし て 居りおり まし た 。 その 月毛つきげ に 乗っのっ て い た 女おんな も 、 こいつ が あの 男おとこ を 殺しころし た と なれ ば 、 どこ へ どう し た か わかり ませ ん 。 差出さしで 《 さし で 》 がま しゅう ござい ます が 、 それ も 御ご 詮議せんぎ 《 ご せんぎ 》 下さいください まし 。
✦ Peek検非違使けびいし に 問わとわ れ たる 媼おうな 《 おう な 》 の 物語ものがたり
✦ Peekはい 、 あの 死骸しがい は 手前てまえ の 娘むすめ が 、 片かた 附ふ 《 か たづ 》 い た 男おとこ で ござい ます 。 が 、 都と の もの で は ござい ませ ん 。 若狭わかさ 《 わか さ 》 の 国府こくふ 《 こく ふ 》 の 侍さむらい で ござい ます 。 名な は 金沢かなざわ 《 かな ざわ 》 の 武たけ 弘ひろし 、 年とし は 二に 十じゅう 六ろく 歳さい で ござい まし た 。 いえ 、 優しいやさしい 気き 立りつ 《 きだ て 》 で ござい ます から 、 遺恨いこん 《 いこ ん 》 なぞ 受けるうける 筈はず は ござい ませ ん 。
娘むすめ で ござい ます か ? 娘むすめ の 名な は 真砂まさご 《 まさ ご 》 、 年とし は 十じゅう 九きゅう 歳さい で ござい ます 。 これ は 男おとこ に も 劣らおとら ぬ くらい 、 勝気かちき の 女おんな で ござい ます が 、 まだ 一いち 度ど も 武たけ 弘ひろし の ほか に は 、 男おとこ を 持っもっ た 事こと は ござい ませ ん 。 顔かお は 色いろ の 浅黒いあさぐろい 、 左ひだり の 眼め 尻しり 《 めじ り 》 に 黒子くろこ 《 ほくろ 》 の ある 、 小さいちいさい 瓜実顔うりざねがお 《 うり ざねがお 》 で ござい ます 。
武たけ 弘ひろし は 昨日きのう 《 きのう 》 娘むすめ と 一いち しょ に 、 若狭わかさ へ 立ったっ た の で ござい ます が 、 こんな 事こと に なり ます と は 、 何となんと 云ういう 因果いんが で ござい ましょ う 。 しかし 娘むすめ は どう なり まし た やら 、 壻むこ 《 むこ 》 の 事こと は あきらめ まし て も 、 これ だけ は 心配しんぱい で なり ませ ん 。 どうか この 姥うば 《 うば 》 が 一生いっしょう の お願いおねがい で ござい ます から 、 たとい 草木くさき 《 くさき 》 を 分けわけ まし て も 、 娘むすめ の 行方ゆくえ 《 ゆくえ 》 を お尋ねおたずね 下さいください まし 。 何なに に 致せいたせ 憎いにくい の は 、 その 多おお 襄じょう 丸まる 《 た じ ょうまる 》 とか 何とかなんとか 申すもうす 、 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 の やつ で ござい ます 。 壻むこ ばかり か 、 娘むすめ まで も … … … ( 跡あと は 泣きなき 入りいり て 言葉ことば なし )
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✦ Peek多た 襄じょう 丸まる 《 た じ ょうまる 》 の 白状はくじょう
✦ Peekあの 男おとこ を 殺しころし た の は わたし です 。 しかし 女おんな は 殺しころし は し ませ ん 。 では どこ へ 行っいっ た の か ? それ は わたし に も わから ない の です 。 まあ 、 お待ちおまち なさい 。 いくら 拷問ごうもん 《 ごうも ん 》 に かけ られ て も 、 知らしら ない 事こと は 申さもうさ れ ます まい 。 その 上うえ わたし も こう なれ ば 、 卑怯ひきょう 《 ひきょう 》 な 隠し立てかくしだて は し ない つもり です 。
わたし は 昨日きのう 《 きのう 》 の 午うま 《 ひる 》 少しすこし 過ぎすぎ 、 あの 夫婦ふうふ に 出会いであい まし た 。 その 時とき 風かぜ の 吹いふい た 拍子ひょうし 《 ひょうし 》 に 、 牟 子こ 《 むし 》 の 垂しで 絹きぬ 《 たれ ぎぬ 》 が 上っのぼっ た もの です から 、 ちらりと 女おんな の 顔かお が 見えみえ た の です 。 ちらりと 、 ―― 見えみえ た と 思うおもう 瞬間しゅんかん に は 、 もう 見えみえ なく なっ た の です が 、 一つひとつ に は その ため も あっ た の でしょ う 、 わたし に は あの 女おんな の 顔かお が 、 女じょ 菩薩ぼさつ 《 に ょぼさつ 》 の よう に 見えみえ た の です 。 わたし は その 咄嗟とっさ 《 とっさ 》 の 間ま 《 あいだ 》 に 、 たとい 男おとこ は 殺しころし て も 、 女おんな は 奪おうばお う と 決心けっしん し まし た 。
何なに 、 男おとこ を 殺すころす なぞ は 、 あなた 方かた の 思っおもっ て いる よう に 、 大したたいした 事こと で は あり ませ ん 。 どうせ 女おんな を 奪だつ 《 うば 》 う と なれ ば 、 必ずかならず 、 男おとこ は 殺さころさ れる の です 。 ただ わたし は 殺すころす 時とき に 、 腰こし の 太刀たち 《 たち 》 を 使うつかう の です が 、 あなた 方かた は 太刀たち は 使わつかわ ない 、 ただ 権力けんりょく で 殺すころす 、 金きん で 殺すころす 、 どうか する と おためごかし の 言葉ことば だけ でも 殺すころす でしょ う 。 なるほど 血ち は 流れながれ ない 、 男おとこ は 立派りっぱ 《 りっぱ 》 に 生きいき て いる 、 ―― しかし それでも 殺しころし た の です 。 罪つみ の 深ふか さ を 考えかんがえ て 見れみれ ば 、 あなた 方かた が 悪いわるい か 、 わたし が 悪いわるい か 、 どちら が 悪いわるい か わかり ませ ん 。 ( 皮肉ひにく なる 微笑びしょう )
しかし 男おとこ を 殺さころさ ず とも 、 女おんな を 奪ううばう 事こと が 出来れできれ ば 、 別にべつに 不足ふそく は ない 訳わけ です 。 いや 、 その 時とき の 心もちこころもち で は 、 出来るできる だけ 男おとこ を 殺さころさ ず に 、 女おんな を 奪おうばお う と 決心けっしん し た の です 。 が 、 あの 山科やましな 《 やまし な 》 の 駅路えきろ で は 、 とても そんな 事こと は 出来でき ませ ん 。 そこで わたし は 山やま の 中なか へ 、 あの 夫婦ふうふ を つれこむ 工夫くふう 《 く ふう 》 を し まし た 。
これ も 造作ぞうさく 《 ぞう さ 》 は あり ませ ん 。 わたし は あの 夫婦ふうふ と 途と 《 みち 》 づれになると 、 向うむこう の 山やま に は 古こ 塚つか 《 ふる づか 》 が ある 、 この 古こ 塚つか を 発はつ 《 あ ば 》 い て 見み たら 、 鏡かがみ や 太刀たち 《 たち 》 が 沢山たくさん 出で た 、 わたし は 誰だれ も 知らしら ない よう に 、 山やま の 陰かげ の 藪やぶ 《 やぶ 》 の 中なか へ 、 そう 云ういう 物もの を 埋うま 《 うず 》 め て ある 、 もし 望みのぞみ 手しゅ が ある なら ば 、 どれ でも 安いやすい 値ね に 売り渡しうりわたし たい 、 ―― と 云ういう 話はなし を し た の です 。 男おとこ は いつか わたし の 話はなし に 、 だんだん 心こころ を 動かしうごかし 始めはじめ まし た 。 それから 、 ―― どう です 。 欲よく と 云ういう もの は 恐おそれ し い で は あり ませ ん か ? それから 半時はんとき 《 はん とき 》 も たた ない 内うち に 、 あの 夫婦ふうふ は わたし と 一いち しょ に 、 山路やまじ 《 やま みち 》 へ 馬うま を 向けむけ て い た の です 。
わたし は 藪やぶ 《 やぶ 》 の 前まえ へ 来るくる と 、 宝たから は この 中なか に 埋めうめ て ある 、 見み に 来き て くれ と 云いいい まし た 。 男おとこ は 欲よく に 渇 《 か わ 》 い て い ます から 、 異存いぞん 《 い ぞ ん 》 の ある 筈はず は あり ませ ん 。 が 、 女おんな は 馬うま も 下りおり ず に 、 待っまっ て いる と 云ういう の です 。 また あの 藪やぶ の 茂っしげっ て いる の を 見み て は 、 そう 云ういう の も 無理むり は あり ます まい 。 わたし は これ も 実み を 云えいえ ば 、 思うおもう 壺つぼ 《 つ ぼ 》 に はまっ た の です から 、 女おんな 一いち 人にん を 残しのこし た まま 、 男おとこ と 藪やぶ の 中なか へ はいり まし た 。
藪やぶ は しばらく の 間ま 《 あいだ 》 は 竹たけ ばかり です 。 が 、 半町はんじょう 《 はん ちょう 》 ほど 行っおこなっ た 処ところ に 、 やや 開いひらい た 杉すぎ むら が ある 、 ―― わたし の 仕事しごと を 仕つかまつ 遂げるとげる の に は 、 これ ほど 都合つごう 《 つご う 》 の 好こう 《 い 》 い 場所ばしょ は あり ませ ん 。 わたし は 藪やぶ を 押し分けおしわけ ながら 、 宝たから は 杉すぎ の 下した に 埋めうめ て ある と 、 もっとも らしい 嘘うそ を つき まし た 。 男おとこ は わたし に そう 云わいわ れる と 、 もう 痩 《 や 》 せ 杉すぎ が 透いすい て 見えるみえる 方ほう へ 、 一生懸命いっしょうけんめい に 進んすすん で 行きいき ます 。 その 内うち に 竹たけ が 疎うと 《 ま ば 》 ら に なる と 、 何なん 本ほん も 杉すぎ が 並んならん で いる 、 ―― わたし は そこ へ 来るくる が 早いはやい か 、 いきなり 相手あいて を 組み伏せくみふせ まし た 。 男おとこ も 太刀たち を 佩 《 は 》 い て いる だけ に 、 力ちから は 相当そうとう に あっ た よう です が 、 不意ふい を 打たうた れ て は たまり ませ ん 。 たちまち 一いち 本ほん の 杉すぎ の 根ね がた へ 、 括くく 《 くく 》 りつ けら れ て しまい まし た 。 縄なわ 《 な わ 》 です か ? 縄なわ は 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 の 有難ありがた さ に 、 いつ 塀へい を 越えるこえる か わかり ませ ん から 、 ちゃんと 腰こし に つけ て い た の です 。 勿論もちろん 声こえ を 出さださ せ ない ため に も 、 竹たけ の 落葉らくよう を 頬ほお 張ちょう 《 ほお ば 》 ら せれ ば 、 ほか に 面倒めんどう は あり ませ ん 。
わたし は 男おとこ を 片かた 附けつけ て しまう と 、 今度こんど は また 女おんな の 所ところ へ 、 男おとこ が 急病きゅうびょう を 起しおこし た らしい から 、 見み に 来き て くれ と 云いいい に 行きいき まし た 。 これ も 図星ずぼし 《 ず ぼ し 》 に 当っあたっ た の は 、 申し上げるもうしあげる まで も あり ます まい 。 女おんな は 市し 女おんな 笠かさ 《 いち め が さ 》 を 脱いぬい だ まま 、 わたし に 手て を とら れ ながら 、 藪やぶ の 奥おく へ はいっ て 来き まし た 。 ところが そこ へ 来き て 見るみる と 、 男おとこ は 杉すぎ の 根ね に 縛ばく 《 しば 》 られ て いる 、 ―― 女おんな は それ を 一目いちもく 見るみる なり 、 いつのまに 懐ふところ 《 ふところ 》 から 出しだし て い た か 、 きらり と 小刀こがたな 《 さすが 》 を 引き抜きひきぬき まし た 。 わたし は まだ 今いま まで に 、 あの くらい 気性きしょう の 烈れつ 《 はげ 》 し い 女おんな は 、 一いち 人にん も 見み た 事こと が あり ませ ん 。 もし その 時とき でも 油断ゆだん し て い たら ば 、 一いち 突きつき に 脾腹ひばら 《 ひ ばら 》 を 突かつか れ た でしょ う 。 いや 、 それ は 身み を 躱 《 か わ 》 し た ところが 、 無二無三むにむさん 《 むにむざん 》 に 斬りきり 立てたて られる 内うち に は 、 どんな 怪我けが 《 けが 》 も 仕つかまつ 兼ねかね なかっ た の です 。 が 、 わたし も 多た 襄じょう 丸まる 《 た じ ょうまる 》 です から 、 どうにか こう に か 太刀たち も 抜かぬか ず に 、 とうとう 小刀こがたな 《 さすが 》 を 打ち落しうちおとし まし た 。 いくら 気き の 勝っかっ た 女おんな で も 、 得物えもの が なけれ ば 仕方しかた が あり ませ ん 。 わたし は とうとう 思い通りおもいどおり 、 男おとこ の 命いのち は 取らとら ず とも 、 女おんな を 手て に 入れるいれる 事こと は 出来でき た の です 。
男おとこ の 命いのち は 取らとら ず とも 、 ―― そう です 。 わたし は その 上うえ に も 、 男おとこ を 殺すころす つもり は なかっ た の です 。 所ところ が 泣き伏しなきふし た 女おんな を 後ご 《 あと 》 に 、 藪やぶ の 外そと へ 逃げよにげよ う と する と 、 女おんな は 突然とつぜん わたし の 腕うで へ 、 気違いきちがい の よう に 縋すが 《 す が 》 り つき まし た 。 しかも 切れ切れきれぎれ に 叫ぶさけぶ の を 聞けきけ ば 、 あなた が 死ぬしぬ か 夫おっと が 死ぬしぬ か 、 どちら か 一いち 人にん 死んしん で くれ 、 二に 人にん の 男おとこ に 恥はじ 《 はじ 》 を 見せるみせる の は 、 死ぬしぬ より も つらい と 云ういう の です 。 いや 、 その 内うち どちら に しろ 、 生き残っいきのこっ た 男おとこ につれ 添いそい たい 、 ―― そう も 喘 《 あえ 》 ぎ 喘ぎあえぎ 云ういう の です 。 わたし は その 時とき 猛然ともうぜんと 、 男おとこ を 殺しころし たい 気き に なり まし た 。 ( 陰鬱いんうつ なる 興奮こうふん )
こんな 事こと を 申し上げるもうしあげる と 、 きっと わたし は あなた 方かた より 残酷ざんこく 《 ざんこく 》 な 人間にんげん に 見えるみえる でしょ う 。 しかし それ は あなた 方かた が 、 あの 女おんな の 顔かお を 見み ない から です 。 殊にことに その 一いち 瞬間しゅんかん の 、 燃えるもえる よう な 瞳ひとみ 《 ひとみ 》 を 見み ない から です 。 わたし は 女おんな と 眼め を 合せあわせ た 時とき 、 たとい 神かみ 鳴な 《 かみ なり 》 に 打ち殺さうちころさ れ て も 、 この 女おんな を 妻つま に し たい と 思いおもい まし た 。 妻つま に し たい 、 ―― わたし の 念頭ねんとう 《 ねん とう 》 に あっ た の は 、 ただ こう 云ういう 一事いちじ だけ です 。 これ は あなた 方かた の 思うおもう よう に 、 卑 《 いや 》 し い 色欲しきよく で は あり ませ ん 。 もし その 時とき 色欲しきよく の ほか に 、 何なに も 望みのぞみ が なかっ た と すれ ば 、 わたし は 女おんな を 蹴け 倒 《 けた お 》 し て も 、 きっと 逃げにげ て しまっ た でしょ う 。 男おとこ も そう すれ ば わたし の 太刀たち 《 たち 》 に 、 血ち を 塗るぬる 事こと に は なら なかっ た の です 。 が 、 薄暗いうすぐらい 藪やぶ の 中なか に 、 じっと 女おんな の 顔かお を 見み た 刹那せつな 《 せつな 》 、 わたし は 男おとこ を 殺さころさ ない 限りかぎり 、 ここ は 去るさる まい と 覚悟かくご し まし た 。
しかし 男おとこ を 殺すころす に し て も 、 卑怯ひきょう 《 ひきょう 》 な 殺しころし 方かた は し たく あり ませ ん 。 わたし は 男おとこ の 縄なわ を 解いとい た 上うえ 、 太刀打ちたちうち を しろ と 云いいい まし た 。 ( 杉すぎ の 根ね がた に 落ちおち て い た の は 、 その 時とき 捨てすて 忘れわすれ た 縄なわ な の です 。 ) 男おとこ は 血相けっそう 《 けっ そう 》 を 変えかえ た まま 、 太いふとい 太刀たち を 引き抜きひきぬき まし た 。 と 思うおもう と 口くち も 利り 《 き 》 か ず に 、 憤然ふんぜん と わたし へ 飛びかかりとびかかり まし た 。 ―― その 太刀打ちたちうち が どう なっ た か は 、 申し上げるもうしあげる まで も あり ます まい 。 わたし の 太刀たち は 二に 十じゅう 三さん | 合ごう 目め 《 ご うめ 》 に 、 相手あいて の 胸むね を 貫きつらぬき まし た 。 二に 十じゅう 三さん 合ごう 目め に 、 ―― どうか それ を 忘れわすれ ず に 下さいください 。 わたし は 今いま でも この 事こと だけ は 、 感心かんしん だ と 思っおもっ て いる の です 。 わたし と 二に 十じゅう 合ごう 斬りきり 結んむすん だ もの は 、 天下てんか に あの 男おとこ 一いち 人にん だけ です から 。 ( 快活かいかつ なる 微笑びしょう )
わたし は 男おとこ が 倒れるたおれる と 同時にどうじに 、 血ち に 染まっそまっ た 刀かたな を 下げさげ た なり 、 女おんな の 方ほう を 振り返りふりかえり まし た 。 すると 、 ―― どう です 、 あの 女おんな は どこ に も い ない で は あり ませ ん か ? わたし は 女おんな が どちら へ 逃げにげ た か 、 杉すぎ むら の 間ま を 探しさがし て 見み まし た 。 が 、 竹たけ の 落葉らくよう の 上うえ に は 、 それ らしい 跡あと 《 あと 》 も 残っのこっ て い ませ ん 。 また 耳みみ を 澄ますま せ て 見み て も 、 聞えるきこえる の は ただ 男おとこ の 喉のど 《 のど 》 に 、 断末魔だんまつま 《 だ ん ま つま 》 の 音おと が する だけ です 。
事こと に よる と あの 女おんな は 、 わたし が 太刀打たちうち を 始めるはじめる が 早いはやい か 、 人ひと の 助けたすけ でも 呼ぶよぶ ため に 、 藪やぶ を くぐっ て 逃げにげ た の かも 知れしれ ない 。 ―― わたし は そう 考えるかんがえる と 、 今度こんど は わたし の 命いのち です から 、 太刀たち や 弓矢ゆみや を 奪っうばっ た なり 、 すぐ に また もと の 山路やまじ 《 やま みち 》 へ 出で まし た 。 そこ に は まだ 女おんな の 馬うま が 、 静かしずか に 草くさ を 食っくっ て い ます 。 その後そのご 《 ご 》 の 事こと は 申し上げるもうしあげる だけ 、 無用むよう の 口数くちかず 《 くち か ず 》 に 過ぎすぎ ます まい 。 ただ 、 都と 《 みやこ 》 へ は いる 前まえ に 、 太刀たち だけ は もう 手放してばなし て い まし た 。 ―― わたし の 白状はくじょう は これ だけ です 。 どうせ 一いち 度ど は 樗ぶな 《 お うち 》 の 梢こずえ 《 こずえ 》 に 、 懸けるかける 首くび と 思っおもっ て い ます から 、 どうか 極刑きょっけい 《 ご っけ い 》 に 遇わあわ せ て 下さいください 。 ( 昂然こうぜん 《 こう ぜん 》 たる 態度たいど )
✦ Peek清水寺きよみずでら に 来れるこれる 女おんな の 懺悔ざんげ 《 ざんげ 》
✦ Peek―― その 紺こん 《 こん 》 の 水干すいかん 《 す いかん 》 を 着き た 男おとこ は 、 わたし を 手ごめてごめ に し て しまう と 、 縛らしばら れ た 夫おっと を 眺めながめ ながら 、 嘲あざけ 《 あざ け 》 る よう に 笑いわらい まし た 。 夫おっと は どんなに 無念むねん だっ た でしょ う 。 が 、 いくら 身み 悶 《 み も だ 》 え を し て も 、 体からだ 中ちゅう 《 からだ じゅう 》 に かかっ た 縄目なわめ 《 な わ め 》 は 、 一層いっそう ひしひし と 食い入るくいいる だけ です 。 わたし は 思わずおもわず 夫おっと の 側がわ へ 、 転うたて 《 ころ 》 ぶ よう に 走りはしり 寄りより まし た 。 いえ 、 走りはしり 寄ろよろ う と し た の です 。 しかし 男おとこ は 咄嗟とっさ 《 とっさ 》 の 間ま 《 あいだ 》 に 、 わたし を そこ へ 蹴倒しけたおし まし た 。 ちょうど その 途端とたん 《 とたん 》 です 。 わたし は 夫おっと の 眼め の 中なか に 、 何ともなんとも 云いいい よう の ない 輝きかがやき が 、 宿っやどっ て いる の を 覚さとし 《 さと 》 り まし た 。 何ともなんとも 云いいい よう の ない 、 ―― わたし は あの 眼め を 思い出すおもいだす と 、 今いま でも 身み 震しん 《 み ぶる 》 い が 出で ず に はいら れ ませ ん 。 口くち さえ 一言いちげん 《 いちご ん 》 も 利り 《 き 》 け ない 夫おっと は 、 その 刹那せつな 《 せつな 》 の 眼め の 中なか に 、 一切いっさい の 心こころ を 伝えつたえ た の です 。 しかし そこ に 閃 《 ひらめ 》 い て い た の は 、 怒りいかり で も なけれ ば 悲しみかなしみ で も ない 、 ―― ただ わたし を 蔑 《 さ げす 》 ん だ 、 冷たいつめたい 光ひかり だっ た で は あり ませ ん か ? わたし は 男おとこ に 蹴らけら れ た より も 、 その 眼め の 色いろ に 打たうた れ た よう に 、 我わが 知らずしらず 何なに か 叫んさけん だ ぎり 、 とうとう 気き を 失っうしなっ て しまい まし た 。
その 内うち に やっと 気がついきがつい て 見るみる と 、 あの 紺こん 《 こん 》 の 水干すいかん 《 す いかん 》 の 男おとこ は 、 もう どこ か へ 行っいっ て い まし た 。 跡あと に は ただ 杉すぎ の 根ね がた に 、 夫おっと が 縛ばく 《 しば 》 られ て いる だけ です 。 わたし は 竹たけ の 落葉らくよう の 上うえ に 、 やっと 体からだ を 起しおこし た なり 、 夫おっと の 顔かお を 見守りみまもり まし た 。 が 、 夫おっと の 眼め の 色いろ は 、 少しすこし も さっき と 変りかわり ませ ん 。 やはり 冷たいつめたい 蔑 《 さ げす 》 みの 底そこ に 、 憎しみにくしみ の 色いろ を 見せみせ て いる の です 。 恥しはずかし さ 、 悲しかなし さ 、 腹立たしはらだたし さ 、 ―― その 時とき の わたし の 心こころ の 中なか 《 うち 》 は 、 何なに と 云えいえ ば 好よしみ 《 よ 》 いか わかり ませ ん 。 わたし は よろよろ 立ち上りたちのぼり ながら 、 夫おっと の 側がわ へ 近寄りちかより まし た 。
「 あなた 。 もう こう なっ た 上うえ は 、 あなた と 御ご 一いち しょ に は 居らおら れ ませ ん 。 わたし は 一いち 思いおもい に 死ぬしぬ 覚悟かくご です 。 しかし 、 ―― しかし あなた も お 死し に なすっ て 下さいください 。 あなた は わたし の 恥はじ 《 はじ 》 を 御覧ごらん に なり まし た 。 わたし は この まま あなた 一いち 人にん 、 お 残しのこし 申すもうす 訳わけ に は 参りまいり ませ ん 。 」
わたし は 一生懸命いっしょうけんめい に 、 これ だけ の 事こと を 云いいい まし た 。 それでも 夫おっと は 忌いみ 《 いま 》 わし そう に 、 わたし を 見つめみつめ て いる ばかり な の です 。 わたし は 裂 《 さ 》 けそ う な 胸むね を 抑えおさえ ながら 、 夫おっと の 太刀たち 《 たち 》 を 探しさがし まし た 。 が 、 あの 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 に 奪わうばわ れ た の でしょ う 、 太刀たち は 勿論もちろん 弓矢ゆみや さえ も 、 藪やぶ の 中なか に は 見当りみあたり ませ ん 。 しかし 幸いさいわい 小刀こがたな 《 さすが 》 だけ は 、 わたし の 足もとあしもと に 落ちおち て いる の です 。 わたし は その 小刀こがたな を 振り上げるふりあげる と 、 もう一度もういちど 夫おっと に こう 云いいい まし た 。
「 では お 命いのち を 頂かいただか せ て 下さいください 。 わたし も すぐ に お 供きょう し ます 。 」
夫おっと は この 言葉ことば を 聞いきい た 時とき 、 やっと 唇くちびる 《 くちびる 》 を 動かしうごかし まし た 。 勿論もちろん 口くち に は 笹ささ の 落葉らくよう が 、 一ぱいいっぱい に つまっ て い ます から 、 声こえ は 少しすこし も 聞えきこえ ませ ん 。 が 、 わたし は それ を 見るみる と 、 たちまち その 言葉ことば を 覚りさとり まし た 。 夫おっと は わたし を 蔑んさげすん だ まま 、 「 殺せころせ 。 」 と 一言いちげん 《 ひとこと 》 云っゆっ た の です 。 わたし は ほとんど 、 夢うつつゆめうつつ の 内うち に 、 夫おっと の 縹はなだ 《 はな だ 》 の 水干すいかん の 胸むね へ 、 ずぶりと 小刀こがたな 《 さすが 》 を 刺し通しさしとおし まし た 。
わたし は また この 時とき も 、 気き を 失っうしなっ て しまっ た の でしょ う 。 やっと あたり を 見み まわし た 時とき に は 、 夫おっと は もう 縛らしばら れ た まま 、 とうに 息いき が 絶えたえ て い まし た 。 その 蒼あお ざめた 顔がお の 上うえ に は 、 竹たけ に 交 《 まじ 》 っ た 杉すぎ むら の 空そら から 、 西日にしび が 一すじひとすじ 落ちおち て いる の です 。 わたし は 泣き声なきごえ を 呑みのみ ながら 、 死骸しがい 《 し がい 》 の 縄なわ を 解きとき 捨てすて まし た 。 そうして 、 ―― そうして わたし が どう なっ た か ? それだけ は もう わたし に は 、 申し上げるもうしあげる 力ちから も あり ませ ん 。 とにかく わたし は どうしても 、 死し に 切るきる 力ちから が なかっ た の です 。 小刀こがたな 《 さすが 》 を 喉のど 《 のど 》 に 突き立てつきたて たり 、 山やま の 裾すそ の 池いけ へ 身み を 投げなげ たり 、 いろいろ な 事こと も し て 見み まし た が 、 死にしに 切れきれ ず に こう し て いる 限りかぎり 、 これ も 自慢じまん 《 じまん 》 に は なり ます まい 。 ( 寂しきさびしき 微笑びしょう ) わたし の よう に 腑ふ 甲斐かい 《 ふ がい 》 ない もの は 、 大慈大悲だいじだいひ の 観世音菩薩かんぜおんぼさつ 《 かんぜ おん ぼ さ つ 》 も 、 お 見放しみはなし なすっ た もの かも 知れしれ ませ ん 。 しかし 夫おっと を 殺しころし た わたし は 、 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 の 手ごめてごめ に 遇っあっ た わたし は 、 一体いったい どう すれ ば 好よしみ 《 よ 》 いの でしょ う ? 一体いったい わたし は 、 ―― わたし は 、 ―― ( 突然とつぜん 烈しきはげしき 歔欷きょき 《 すすりなき 》 )
✦ Peek巫女みこ 《 みこ 》 の 口くち を 借りかり たる 死霊しりょう の 物語ものがたり
✦ Peek―― 盗人ぬすびと 《 ぬ す びと 》 は 妻つま を 手ごめてごめ に する と 、 そこ へ 腰こし を 下しくだし た まま 、 いろいろ 妻つま を 慰めなぐさめ 出しだし た 。 おれ は 勿論もちろん 口くち は 利り 《 き 》 け ない 。 体からだ も 杉すぎ の 根ね に 縛ばく 《 しば 》 られ て いる 。 が 、 おれ は その間そのかん 《 あいだ 》 に 、 何なん 度ど も 妻つま へ 目め くば せ を し た 。 この 男おとこ の 云ういう 事こと を 真しん 《 ま 》 に 受けるうける な 、 何なに を 云っゆっ て も 嘘うそ と 思えおもえ 、 ―― おれ は そんな 意味いみ を 伝えつたえ たい と 思っおもっ た 。 しかし 妻つま は 悄然しょうぜん 《 しょうぜ ん 》 と 笹ささ の 落葉らくよう に 坐っすわっ た なり 、 じっと 膝ひざ へ 目め を やっ て いる 。 それ が どうも 盗人ぬすびと の 言葉ことば に 、 聞き入っききいっ て いる よう に 見えるみえる で は ない か ? おれ は 妬 《 ねたま 》 し さ に 身み 悶 《 み も だ 》 え を し た 。 が 、 盗人ぬすびと は それ から それ へ と 、 巧妙こうみょう に 話はなし を 進めすすめ て いる 。 一いち 度ど でも 肌身はだみ を 汚しよごし た と なれ ば 、 夫おっと と の 仲なか も 折り合うおりあう まい 。 そんな 夫おっと に 連れ添っつれそっ て いる より 、 自分じぶん の 妻つま に なる 気き は ない か ? 自分じぶん は いとしい と 思えおもえ ば こそ 、 大だい それ た 真似まね も 働いはたらい た の だ 、 ―― 盗人ぬすびと は とうとう 大胆だいたん 《 だい た ん 》 に も 、 そう 云ういう 話はなし さえ 持ち出しもちだし た 。
盗人ぬすびと に こう 云わいわ れる と 、 妻つま は うっとり と 顔かお を 擡 《 もた 》 げた 。 おれ は まだ あの 時とき ほど 、 美しいうつくしい 妻つま を 見み た 事こと が ない 。 しかし その 美しいうつくしい 妻つま は 、 現在げんざい 縛らしばら れ た おれ を 前まえ に 、 何となんと 盗人ぬすびと に 返事へんじ を し た か ? おれ は 中有ちゅうう 《 ち ゅうう 》 に 迷っまよっ て い て も 、 妻つま の 返事へんじ を 思い出すおもいだす ごと に 、 嗔 恚 《 しんい 》 に 燃えもえ なかっ た ためし は ない 。 妻つま は 確かたしか に こう 云っゆっ た 、 ―― 「 では どこ へ で もつれ て 行っいっ て 下さいください 。 」 ( 長きながき 沈黙ちんもく )
妻つま の 罪つみ は それ だけ で は ない 。 それだけ なら ば この 闇やみ 《 やみ 》 の 中なか に 、 いま ほど おれ も 苦しみくるしみ は し まい 。 しかし 妻つま は 夢ゆめ の よう に 、 盗人ぬすびと に 手て を とら れ ながら 、 藪やぶ の 外そと へ 行こいこ う と する と 、 たちまち 顔色かおいろ 《 がん し よく 》 を 失っうしなっ た なり 、 杉すぎ の 根ね の おれ を 指さしゆびさし た 。 「 あの 人ひと を 殺しころし て 下さいください 。 わたし は あの 人ひと が 生きいき て い て は 、 あなた と 一いち しょ に はいら れ ませ ん 。 」 ―― 妻つま は 気き が 狂っくるっ た よう に 、 何なん 度ど も こう 叫びさけび 立てたて た 。 「 あの 人ひと を 殺しころし て 下さいください 。 」 ―― この 言葉ことば は 嵐あらし の よう に 、 今いま でも 遠いとおい 闇やみ の 底そこ へ 、 まっ 逆様さかさま 《 さ か さま 》 に おれ を 吹きふき 落そおとそ う と する 。 一いち 度ど でも この くらい 憎むにくむ べき 言葉ことば が 、 人間にんげん の 口くち を 出で た 事こと が あろ う か ? 一いち 度ど でも この くらい 呪のろい 《 のろ 》 わし い 言葉ことば が 、 人間にんげん の 耳みみ に 触れふれ た 事こと が あろ う か ? 一いち 度ど でも この くらい 、 ―― ( 突然とつぜん | 迸ほとばし 《 ほとばし 》 る ごとき 嘲笑ちょうしょう 《 ちょうしょう 》 ) その 言葉ことば を 聞いきい た 時とき は 、 盗人ぬすびと さえ 色いろ を 失っうしなっ て しまっ た 。 「 あの 人ひと を 殺しころし て 下さいください 。 」 ―― 妻つま は そう 叫びさけび ながら 、 盗人ぬすびと の 腕うで に 縋すが 《 す が 》 って いる 。 盗人ぬすびと は じっと 妻つま を 見み た まま 、 殺すころす とも 殺さころさ ぬ と も 返事へんじ を し ない 。 ―― と 思うおもう か 思わおもわ ない 内うち に 、 妻つま は 竹たけ の 落葉らくよう の 上うえ へ 、 ただ 一いち 蹴りけり に 蹴け 倒 《 けた お 》 さ れ た 、 ( 再さい 《 ふた た 》 び 迸るほとばしる ごとき 嘲笑ちょうしょう ) 盗人ぬすびと は 静かしずか に 両りょう 腕うで を 組むくむ と 、 おれ の 姿すがた へ 眼め を やっ た 。 「 あの 女おんな は どう する つもり だ ? 殺すころす か 、 それとも 助けたすけ て やる か ? 返事へんじ は ただ 頷 《 うな ず 》 け ば 好よしみ 《 よ 》 い 。 殺すころす か ? 」 ―― おれ は この 言葉ことば だけ でも 、 盗人ぬすびと の 罪つみ は 赦 《 ゆる 》 してやり たい 。 ( 再びふたたび 、 長きながき 沈黙ちんもく )
妻つま は おれ が ためらう 内うち に 、 何なに か 一声いっせい 《 ひと こえ 》 叫ぶさけぶ が 早いはやい か 、 たちまち 藪やぶ の 奥おく へ 走り出しはしりだし た 。 盗人ぬすびと も 咄嗟とっさ 《 とっさ 》 に 飛びかかっとびかかっ た が 、 これ は 袖そで 《 そで 》 さえ 捉 《 とら 》 え なかっ た らしい 。 おれ は ただ 幻まぼろし の よう に 、 そう 云ういう 景色けしき を 眺めながめ て い た 。
盗人ぬすびと は 妻つま が 逃げにげ 去っさっ た 後のち 《 のち 》 、 太刀たち 《 たち 》 や 弓矢ゆみや を 取り上げるとりあげる と 、 一いち 箇所かしょ だけ おれ の 縄なわ 《 な わ 》 を 切っきっ た 。 「 今度こんど は おれ の 身の上みのうえ だ 。 」 ―― おれ は 盗人ぬすびと が 藪やぶ の 外そと へ 、 姿すがた を 隠しかくし て しまう 時とき に 、 こう 呟 《 つぶ や 》 い た の を 覚えおぼえ て いる 。 その 跡あと は どこ も 静かしずか だっ た 。 いや 、 まだ 誰だれ か の 泣くなく 声こえ が する 。 おれ は 縄なわ を 解きとき ながら 、 じっと 耳みみ を 澄ますま せ て 見み た 。 が 、 その 声こえ も 気がついきがつい て 見れみれ ば 、 おれ 自身じしん の 泣いない て いる 声こえ だっ た で は ない か ? ( 三さん 度ど 《 み たび 》 、 長きながき 沈黙ちんもく )
おれ は やっと 杉すぎ の 根ね から 、 疲れつかれ 果てはて た 体からだ を 起しおこし た 。 おれ の 前まえ に は 妻つま が 落しおとし た 、 小刀こがたな 《 さすが 》 が 一つひとつ 光っひかっ て いる 。 おれ は それ を 手て に とる と 、 一いち 突きつき に おれ の 胸むね へ 刺とげ 《 さ 》 し た 。 何なに か 腥なまぐさ 《 なまぐさ 》 い 塊かたまり 《 かたまり 》 が おれ の 口くち へ こみ上げこみあげ て 来るくる 。 が 、 苦しみくるしみ は 少しすこし も ない 。 ただ 胸むね が 冷たくつめたく なる と 、 一層いっそう あたり が しん と し て しまっ た 。 ああ 、 何となんと 云ういう 静かしずか さ だろ う 。 この 山陰やまかげ 《 やま かげ 》 の 藪やぶ の 空そら に は 、 小鳥ことり 一いち 羽わ | 囀さえず 《 さえ ず 》 り に 来こ ない 。 ただ 杉すぎ や 竹たけ の 杪 《 うら 》 に 、 寂しいさびしい 日影ひかげ が 漂 《 ただ よ 》 って いる 。 日影ひかげ が 、 ―― それ も 次第にしだいに 薄れうすれ て 来るくる 。 ―― もう 杉すぎ や 竹たけ も 見えみえ ない 。 おれ は そこ に 倒れたおれ た まま 、 深いふかい 静かしずか さ に 包まつつま れ て いる 。
その 時とき 誰だれ か 忍び足しのびあし に 、 おれ の 側がわ へ 来き た もの が ある 。 おれ は そちら を 見よみよ う と し た 。 が 、 おれ の まわり に は 、 いつか 薄闇うすやみ 《 うす やみ 》 が 立ちこめたちこめ て いる 。 誰だれ か 、 ―― その 誰だれ か は 見えみえ ない 手て に 、 そっと 胸むね の 小刀こがたな 《 さすが 》 を 抜いぬい た 。 同時にどうじに おれ の 口くち の 中なか に は 、 もう一度もういちど 血潮ちしお が 溢 《 あふ 》 れ て 来るくる 。 おれ は それ ぎり 永久えいきゅう に 、 中有ちゅうう 《 ち ゅうう 》 の 闇やみ へ 沈んしずん で しまっ た 。 … … …
( 大正たいしょう 十じゅう 年ねん 十二月じゅうにがつ )
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