一いち 、 午后ごご 《 ご ご 》 の 授業じゅぎょう
✦ Peek「 では みなさん は 、 そういう ふう に 川かわ だ と 云うん 《 い 》 われ たり 、 乳ちち の 流れながれ た あと だ と 云わいわ れ たり し て い た この ぼんやり と 白いしろい もの が ほんとう は 何なに か ご 承知しょうち です か 。 」 先生せんせい は 、 黒板こくばん に 吊つ 《 つる 》 し た 大きなおおきな 黒いくろい 星座せいざ の 図ず の 、 上うえ から 下した へ 白くしろく けぶっ た 銀河ぎんが 帯たい の よう な ところ を 指ゆび 《 さ 》 し ながら 、 みんな に 問とい 《 とい 》 を かけ まし た 。
カムパネルラ が 手て を あげ まし た 。 それから 四よん 五ご 人にん 手しゅ を あげ まし た 。 ジョバンニ も 手て を あげよ う として 、 急いいそい で そのまま やめ まし た 。 たしかに あれ が みんな 星ぼし だ と 、 いつか 雑誌ざっし で 読んよん だ の でし た が 、 このごろ は ジョバンニ は まるで 毎日まいにち 教室きょうしつ で も ねむく 、 本ほん を 読むよむ ひま も 読むよむ 本ほん も ない ので 、 なんだか どんな こと も よく わから ない という 気持ちきもち が する の でし た 。
ところが 先生せんせい は 早くはやく も それ を 見附みつけ 《 みつ 》 けた の でし た 。
「 ジョバンニ さん 。 あなた は わかっ て いる の でしょ う 。 」
ジョバンニ は 勢ぜい 《 いきおい 》 よく 立ちあがりたちあがり まし た が 、 立ったっ て 見るみる と もう はっきり と それ を 答えるこたえる こと が でき ない の でし た 。 ザネリ が 前まえ の 席せき から ふりかえっ て 、 ジョバンニ を 見み て く すっと わらい まし た 。 ジョバンニ は もう どぎまぎ し て まっ 赤あか に なっ て しまい まし た 。 先生せんせい が また 云いいい まし た 。
「 大きなおおきな 望遠鏡ぼうえんきょう で 銀河ぎんが を よっ く 調べるしらべる と 銀河ぎんが は 大体だいたい 何なに でしょ う 。 」
やっぱり 星ほし だ と ジョバンニ は 思いおもい まし た が こんど も すぐ に 答えるこたえる こと が でき ませ ん でし た 。
先生せんせい は しばらく 困っこまっ た よう す でし た が 、 眼め 《 め 》 を カムパネルラ の 方ほう へ 向けむけ て 、
「 では カムパネルラ さん 。 」 と 名指しなざし まし た 。 すると あんなに 元気げんき に 手て を あげ た カムパネルラ が 、 やはり もじもじ 立ち上ったちのぼっ た まま やはり 答えこたえ が でき ませ ん でし た 。
先生せんせい は 意外いがい な よう に しばらく じっと カムパネルラ を 見み て い まし た が 、 急いいそい で 「 では 。 よし 。 」 と 云いいい ながら 、 自分じぶん で 星図せいず を 指ゆび 《 さ 》 し まし た 。
「 この ぼんやり と 白いしろい 銀河ぎんが を 大きなおおきな いい 望遠鏡ぼうえんきょう で 見み ます と 、 もう たくさん の 小さなちいさな 星ほし に 見えるみえる の です 。 ジョバンニ さん そう でしょ う 。 」
ジョバンニ は まっ 赤あか に なっ て うなずき まし た 。 けれども いつか ジョバンニ の 眼め の なか に は 涙なみだ 《 なみ だ 》 が いっぱい に なり まし た 。 そう だ 僕ぼく 《 ぼく 》 は 知っしっ て い た の だ 、 勿論もちろん 《 もちろん 》 カムパネルラ も 知っしっ て いる 、 それ は いつか カムパネルラ の お父さんおとうさん の 博士はかせ の うち で カムパネルラ と いっしょ に 読んよん だ 雑誌ざっし の なか に あっ た の だ 。 それ どこ で なく カムパネルラ は 、 その 雑誌ざっし を 読むよむ と 、 すぐ お父さんおとうさん の 書斎しょさい 《 しょ さい 》 から 巨 《 おお 》 き な 本ほん を もっ て き て 、 ぎん が という ところ を ひろげ 、 まっ黒まっくろ な 頁ぺえじ 《 ページぺえじ 》 いっぱい に 白いしろい 点々てんてん の ある 美しいうつくしい 写真しゃしん を 二に 人にん で いつ まで も 見み た の でし た 。 それ を カムパネルラ が 忘れるわすれる 筈はず 《 はず 》 も なかっ た のに 、 すぐ に 返事へんじ を し なかっ た の は 、 このごろ ぼく が 、 朝あさ に も 午后ごご に も 仕事しごと が つらく 、 学校がっこう に 出で て も もう みんな と も はきはき 遊ばあそば ず 、 カムパネルラ とも あんまり 物もの を 云わいわ ない よう に なっ た ので 、 カムパネルラ が それ を 知っしっ て 気の毒きのどく がっ て わざと 返事へんじ を し なかっ た の だ 、 そう 考えるかんがえる と たまらない ほど 、 じ ぶん も カムパネルラ も あわ れ な よう な 気き が する の でし た 。
先生せんせい は また 云いいい まし た 。
「 ですから もしも この 天てん 《 あま 》 の 川かわ 《 が わ 》 が ほんとう に 川かわ だ と 考えるかんがえる なら 、 その 一つひとつ 一つひとつ の 小さなちいさな 星ほし は みんな その 川かわ の そこ の 砂すな や 砂利じゃり 《 じゃり 》 の 粒つぶ 《 つぶ 》 に も あたる わけ です 。 また これ を 巨 き な 乳ちち の 流れながれ と 考えるかんがえる なら もっと 天の川あまのがわ と よく 似に て い ます 。 つまり その 星ほし は みな 、 乳ちち の なか に まるで 細かこまか に うかん で いる 脂あぶら 油ゆ 《 し ゆ 》 の 球たま に も あたる の です 。 そん なら 何なに が その 川かわ の 水みず に あたる か と 云いいい ます と 、 それ は 真空しんくう という 光ひかり を ある 速はや さ で 伝えるつたえる もの で 、 太陽たいよう や 地球ちきゅう も やっぱり その なか に 浮 《 う か 》 んで いる の です 。 つまり は 私わたし ども も 天の川あまのがわ の 水みず の なか に 棲 《 す 》 んで いる わけ です 。 そして その 天の川あまのがわ の 水みず の なか から 四方しほう を 見るみる と 、 ちょうど 水みず が 深いふかい ほど 青くあおく 見えるみえる よう に 、 天の川あまのがわ の 底そこ の 深くふかく 遠いとおい ところ ほど 星ほし が たくさん 集っつどっ て 見えみえ したがって 白くしろく ぼんやり 見えるみえる の です 。 この 模型もけい を ごらん なさい 。 」
先生せんせい は 中なか に たくさん 光るひかる 砂すな の つぶ の 入っはいっ た 大きなおおきな 両面りょうめん の 凸とつ 《 とつ 》 レンズれんず を 指しさし まし た 。
「 天の川あまのがわ の 形かたち は ちょうど こんな な の です 。 この いちいち の 光るひかる つぶ が みんな 私わたし ども の 太陽たいよう と 同じおなじ よう に じ ぶん で 光っひかっ て いる 星ほし だ と 考えかんがえ ます 。 私わたし ども の 太陽たいよう が この ほぼ 中ごろなかごろ に あっ て 地球ちきゅう が その すぐ 近くちかく に ある と し ます 。 みなさん は 夜よる に この まん中まんなか に 立ったっ て この レンズれんず の 中なか を 見み まわす として ごらん なさい 。 こっち の 方ほう は レンズれんず が 薄うすき 《 うす 》 い ので わずか の 光るひかる 粒つぶ | 即そく 《 す な わ 》 ち 星ほし しか 見えみえ ない の でしょ う 。 こっち や こっち の 方ほう は ガラスがらす が 厚いあつい ので 、 光るひかる 粒つぶ 即ちすなわち 星ほし が たくさん 見えみえ その 遠いとおい の は ぼうっと 白くしろく 見えるみえる という これ が つまり 今日きょう の 銀河ぎんが の 説せつ な の です 。 そん なら この レンズれんず の 大きおおき さ が どれ 位い ある か また その 中なか の さまざま の 星ほし について は もう 時間じかん です から この 次つぎ の 理科りか の 時間じかん に お話おはなし し ます 。 では 今日きょう は その 銀河ぎんが の お祭おまつり な の です から みなさん は 外そと へ で て よく そら を ごらん なさい 。 では ここ まで です 。 本ほん や ノートのうと を おしまい なさい 。 」
そして 教室きょうしつ 中ちゅう は しばらく 机つくえ 《 つく え 》 の 蓋ふた 《 ふた 》 を あけ たり しめ たり 本ほん を 重ねかさね たり する 音おと が いっぱい でし た が まもなく みんな は きちんと 立ったっ て 礼れい を する と 教室きょうしつ を 出で まし た 。
✦ Peekジョバンニ が 学校がっこう の 門もん を 出るでる とき 、 同じおなじ 組くみ の 七なな 八はち 人にん は 家いえ へ 帰らかえら ず カムパネルラ を まん中まんなか に し て 校庭こうてい の 隅すみ 《 すみ 》 の 桜さくら 《 さくら 》 の 木き の ところ に 集まっあつまっ て い まし た 。 それ は こん や の 星祭ほしまつり に 青いあおい あかり を こしらえ て 川かわ へ 流すながす 烏瓜からすうり 《 からす うり 》 を 取りとり に 行くいく 相談そうだん らしかっ た の です 。
けれども ジョバンニ は 手て を 大きくおおきく 振ふ 《 ふ 》 って どしどし 学校がっこう の 門もん を 出で て 来き まし た 。 すると 町まち の 家々いえいえ で はこん や の 銀河ぎんが の 祭りまつり に いちい の 葉は の 玉たま を つるし たり ひのき の 枝えだ 《 え だ 》 に あかり を つけ たり いろいろ 仕度したく 《 し たく 》 を し て いる の でし た 。
家いえ へ は 帰らかえら ず ジョバンニ が 町まち を 三つみっつ 曲っまがっ て ある 大きなおおきな 活版かっぱん 処しょ に は いっ て すぐ 入口いりぐち の 計算けいさん 台だい に 居い た だぶだぶ の 白いしろい シャツしゃつ を 着き た 人ひと に おじぎ を し て ジョバンニ は 靴くつ 《 くつ 》 を ぬい で 上りのぼり ます と 、 突 《 つ 》 き 当りあたり の 大きなおおきな 扉とびら 《 と 》 を あけ まし た 。 中なか に は まだ 昼ひる な のに 電でん 燈 が つい て たくさん の 輪転りんてん 器き が ば たり ば たり と まわり 、 きれ で 頭あたま を しばっ たり ラムプシェード を かけ たり し た 人ひと たち が 、 何なに か 歌ううたう よう に 読んよん だり 数えかぞえ たり し ながら たくさん 働いはたらい て 居い 《 お 》 り まし た 。
ジョバンニ は すぐ 入口いりぐち から 三さん 番目ばんめ の 高いたかい 卓子たかこ 《 テーブルてえぶる 》 に 座ざ 《 すわ 》 っ た 人ひと の 所ところ へ 行っいっ て おじぎ を し まし た 。 その 人ひと は しばらく 棚たな 《 た な 》 を さがし て から 、
「 これ だけ 拾っひろっ て 行けるいける か ね 。 」 と 云いいい ながら 、 一いち 枚まい の 紙切れかみきれ を 渡わたり 《 わた 》 し まし た 。 ジョバンニ は その 人ひと の 卓子たかこ の 足もとあしもと から 一つひとつ の 小さなちいさな 平たいひらたい 函はこ 《 はこ 》 を とりだし て 向むかい うの 電でん 燈 の たくさん つい た 、 たてかけ て ある 壁かべ 《 か べ 》 の 隅すみ の 所ところ へ しゃがみ 込こみ 《 こ 》 むと 小さなちいさな ピンセットぴんせっと で まるで 粟粒あわつぶ 《 あわ つぶ 》 ぐらい の 活字かつじ を 次つぎ から 次つぎ と 拾いひろい はじめ まし た 。 青いあおい 胸むね あて を し た 人ひと が ジョバンニ の うし ろ を 通りとおり ながら 、
「 よう 、 虫めがねむしめがね 君くん 、 お早うおはよう 。 」 と 云いいい ます と 、 近くちかく の 四よん 五ご 人にん の 人ひと たち が 声こえ も たて ず こっち も 向かむか ず に 冷ひや く わらい まし た 。
ジョバンニ は 何なに べ ん も 眼め を 拭 《 ぬぐ 》 い ながら 活字かつじ を だんだん ひろい まし た 。
六ろく 時じ が うっ て しばらく たっ た ころ 、 ジョバンニ は 拾っひろっ た 活字かつじ を いっぱい に 入れいれ た 平たいひらたい 箱はこ 《 はこ 》 を もう いちど 手しゅ に もっ た 紙きれかみきれ と 引き合せひきあわせ て から 、 さっき の 卓子たかこ の 人ひと へ 持っもっ て 来き まし た 。 その 人ひと は 黙だま 《 だま 》 って それ を 受け取っうけとっ て 微び 《 かす 》 か に うなずき まし た 。
ジョバンニ は おじぎ を する と 扉とびら を あけ て さっき の 計算けいさん 台だい の ところ に 来き まし た 。 すると さっき の 白しろ 服ふく を 着き た 人ひと が やっぱり だまっ て 小さなちいさな 銀貨ぎんか を 一つひとつ ジョバンニ に 渡しわたし まし た 。 ジョバンニ は 俄にわか 《 に わ 》 かに 顔がお いろ が よく なっ て 威勢いせい 《 いせ い 》 よく おじぎ を する と 台の下だいのした に 置いおい た 鞄かばん 《 かばん 》 をもって お もて へ 飛びだしとびだし まし た 。 それから 元気げんき よく 口笛くちぶえ 《 くち ぶ え 》 を 吹 《 ふ 》 き ながら パンぱん 屋や へ 寄っよっ て パンぱん の 塊かたまり 《 かたまり 》 を 一つひとつ と 角砂糖かくざとう を 一いち | 袋ふくろ 《 ふく ろ 》 買いかい ます と 一目散いちもくさん 《 いち も くさん 》 に 走りはしり だし まし た 。
✦ Peekジョバンニ が 勢ぜい 《 いきおい 》 よく 帰っかえっ て 来き た の は 、 ある 裏町うらまち の 小さなちいさな 家いえ でし た 。 その 三つみっつ ならん だ 入口いりぐち の 一番いちばん 左側ひだりがわ に は 空そら 箱ばこ に 紫むらさき 《 むらさ き 》 いろ の ケールけえる や アスパラガスあすぱらがす が 植えうえ て あっ て 小さなちいさな 二つふたつ の 窓まど に は 日覆ひおい 《 ひ おお 》 い が 下りおり た まま に なっ て い まし た 。
「 お 母はは 《 っ か 》 さん 。 いま 帰っかえっ た よ 。 工合ぐあい 《 ぐあい 》 悪くわるく なかっ た の 。 」 ジョバンニ は 靴くつ を ぬぎ ながら 云いいい まし た 。
「 ああ 、 ジョバンニ 、 お 仕事しごと が ひどかっ たろ う 。 今日きょう は 涼りょう 《 すず 》 しく て ね 。 わたし はず うっ と 工合ぐあい が いい よ 。 」
ジョバンニ は 玄関げんかん 《 げん かん 》 を 上っのぼっ て 行きいき ます と ジョバンニ の お母さんおかあさん が すぐ 入口いりぐち の 室しつ 《 へや 》 に 白いしろい 巾はば 《 きれ 》 を 被ひ 《 かぶ 》 って 寝ね 《 やす 》 ん で い た の でし た 。 ジョバンニ は 窓まど を あけ まし た 。
「 お母さんおかあさん 。 今日きょう は 角砂糖かくざとう を 買っかっ て き た よ 。 牛乳ぎゅうにゅう に 入れいれ て あげよ う と 思っおもっ て 。 」
「 ああ 、 お前おまえ さき に お あがり 。 あたし は まだ ほしく ない ん だ から 。 」
「 お母さんおかあさん 。 姉さんねえさん は いつ 帰っかえっ た の 。 」
「 ああ 三さん 時じ ころ 帰っかえっ た よ 。 みんな そこら を し て くれ て ね 。 」
「 お母さんおかあさん の 牛乳ぎゅうにゅう は 来き て い ない ん だろ う か 。 」
「 来こ なかっ たろ う か ねえ 。 」
「 ぼく 行っいっ て とっ て 来よこよ う 。 」
「 ああ あたし は ゆっくり で いい ん だ から お前おまえ さき に お あがり 、 姉さんねえさん が ね 、 トマトとまと で 何なに か こしらえ て そこ へ 置いおい て 行っいっ た よ 。 」
「 では ぼく たべよ う 。 」
ジョバンニ は 窓まど の ところ から トマトとまと の 皿さら 《 さら 》 を とっ て パンぱん と いっしょ に しばらく むしゃむしゃ たべ まし た 。
「 ねえ お母さんおかあさん 。 ぼく お父さんおとうさん は きっと 間もなくまもなく 帰っかえっ て くる と 思うおもう よ 。 」
「 ああ あたし も そう 思うおもう 。 けれども おまえ は どうして そう 思うおもう の 。 」
「 だって 今朝けさ の 新聞しんぶん に 今年ことし は 北の方きたのかた の 漁りょう は 大だい へん よかっ た と 書いかい て あっ た よ 。 」
「 ああ だけど ねえ 、 お父さんおとうさん は 漁りょう へ 出で て い ない かも しれ ない 。 」
「 きっと 出で て いる よ 。 お父さんおとうさん が 監獄かんごく 《 かん ごく 》 へ 入るはいる よう な そんな 悪いわるい こと を し た 筈はず 《 はず 》 が ない ん だ 。 この 前まえ お父さんおとうさん が 持っもっ て き て 学校がっこう へ 寄贈きぞう 《 き ぞう 》 し た 巨 《 おお 》 き な 蟹かに 《 かに 》 の 甲かぶと 《 こう 》 ら だ の と な かい の 角かく だの 今いま だって みんな 標本ひょうほん 室しつ に ある ん だ 。 六ろく 年生ねんせい なんか 授業じゅぎょう の とき 先生せんせい が かわるがわる 教室きょうしつ へ 持っもっ て 行くいく よ 。 一昨年いっさくねん 修学旅行しゅうがくりょこう で 〔 以下いか 数すう 文字もじ 分ぶん 空白くうはく 〕
「 お父さんおとうさん は この 次つぎ は おまえ に ラッコらっこ の 上着うわぎ を もっ て くる といった ねえ 。 」
「 みんな が ぼく に あう と それ を 云ういう よ 。 ひやかす よう に 云ういう ん だ 。 」
「 おまえ に 悪口わるぐち を 云ういう の 。 」
「 うん 、 けれども カムパネルラ なんか 決してけっして 云わいわ ない 。 カムパネルラ は みんな が そんな こと を 云ういう とき は 気の毒きのどく そう に し て いる よ 。 」
「 あの 人ひと は うち の お父さんおとうさん と は ちょうど おまえ たち の よう に 小さいちいさい とき から の お 友達ともだち だっ た そう だ よ 。 」
「 ああ だから お父さんおとうさん は ぼく を つれ て カムパネルラ の うち へ もつれ て 行っいっ た よ 。 あの ころ は よかっ た なあ 。 ぼく は 学校がっこう から 帰るかえる 途中とちゅう 《 とち ゅう 》 たびたび カムパネルラ の うち に 寄っよっ た 。 カムパネルラ の うち に は アルコールラムプ で 走るはしる 汽車きしゃ が あっ た ん だ 。 レールれえる を 七つななつ 組み合せるくみあわせる と 円くまるく なっ て それ に 電柱でんちゅう や 信号しんごう 標しるべ も つい て い て 信号しんごう 標しるべ の あかり は 汽車きしゃ が 通るとおる とき だけ 青くあおく なる よう に なっ て い た ん だ 。 いつか アルコールあるこうる が なくなっ た とき 石油せきゆ を つかっ たら 、 罐かま 《 かま 》 が すっかり 煤すす 《 すす 》 けた よ 。 」
「 そう か ねえ 。 」
「 いま も 毎朝まいあさ 新聞しんぶん を まわし に 行くいく よ 。 けれども いつ で も 家中いえじゅう まだ し ぃんとしているからな 。 」
「 早いはやい から ねえ 。 」
「 ザウエル という 犬いぬ が いる よ 。 しっぽ が まるで 箒ほうき 《 ほうき 》 の よう だ 。 ぼく が 行くいく と 鼻はな を 鳴らしならし て つい て くる よ 。 ず うっ と 町まち の 角かく まで つい て くる 。 もっと つい て くる こと も ある よ 。 今夜こんや は みんな で 烏瓜からすうり 《 からす うり 》 の あかり を 川かわ へ ながし に 行くいく ん だ って 。 きっと 犬いぬ も ついて行くついていく よ 。 」
「 そう だ 。 今晩こんばん は 銀河ぎんが の お祭おまつり だ ねえ 。 」
「 うん 。 ぼく 牛乳ぎゅうにゅう を とり ながら 見み て くる よ 。 」
「 ああ 行っいっ て おい で 。 川かわ へ は はいら ない で ね 。 」
「 ああ ぼく 岸がん から 見るみる だけ な ん だ 。 一いち 時間じかん で 行っおこなっ て くる よ 。 」
「 もっと 遊んあそん で おいで 。 カムパネルラ さん と 一緒いっしょ 《 いっしょ 》 なら 心配しんぱい は ない から 。 」
「 ああ きっと 一緒いっしょ だ よ 。 お母さんおかあさん 、 窓まど を しめて 置こおこ う か 。 」
「 ああ 、 どう か 。 もう 涼しいすずしい から ね 」
ジョバンニ は 立ったっ て 窓まど を しめ お 皿さら や パンぱん の 袋ふくろ を 片かた 附ふ 《 か たづ 》 ける と 勢ぜい よく 靴くつ を はい て
「 では 一いち 時間じかん 半はん で 帰っかえっ て くる よ 。 」 と 云いいい ながら 暗いくらい 戸口とぐち を 出で まし た 。
✦ Peekジョバンニ は 、 口笛くちぶえ を 吹いふい て いる よう な さびしい 口くち 付きつき で 、 檜ひのき 《 ひのき 》 の まっ黒まっくろ に ならん だ 町まち の 坂さか を 下りおり て 来き た の でし た 。
坂の下さかのした に 大きなおおきな 一つひとつ の 街まち 燈 が 、 青白くあおじろく 立派りっぱ に 光っひかっ て 立ったっ て い まし た 。 ジョバンニ が 、 どんどん 電でん 燈 の 方ほう へ 下りおり て 行きいき ます と 、 いま まで ばけ もの の よう に 、 長くながく ぼんやり 、 うし ろ へ 引いひい て い た ジョバンニ の 影かげ 《 かげ 》 ぼうし は 、 だんだん 濃こ 《 こ 》 く 黒くくろく はっきり なっ て 、 足あし を あげ たり 手て を 振ふ 《 ふ 》 っ たり 、 ジョバンニ の 横よこ の 方ほう へ まわっ て 来るくる の でし た 。
( ぼく は 立派りっぱ な 機関きかん 車しゃ だ 。 ここ は 勾配こうばい 《 こう ばい 》 だ から 速いはやい ぞ 。 ぼく は いま その 電でん 燈 を 通りとおり 越こし 《 こ 》 す 。 そう ら 、 こんど は ぼく の 影法師かげぼうし は コムこむ パスぱす だ 。 あんなに くるっ と まわっ て 、 前まえ の 方ほう へ 来き た 。 )
と ジョバンニ が 思いおもい ながら 、 大股おおまた 《 おお また 》 に その 街まち 燈 の 下した を 通り過ぎとおりすぎ た とき 、 いきなり ひるま の ザネリ が 、 新しん らしい えり の 尖とが 《 と が 》 っ た シャツしゃつ を 着き て 電でん 燈 の 向う側むこうがわ の 暗いくらい 小路こうじ 《 こうじ 》 から 出で て 来き て 、 ひら っと ジョバンニ と すれちがい まし た 。
「 ザネリ 、 烏瓜からすうり ながし に 行くいく の 。 」 ジョバンニ が まだ そう 云っゆっ て しまわ ない うち に 、
「 ジョバンニ 、 お父さんおとうさん から 、 ら っ この 上着うわぎ が 来るくる よ 。 」 その 子こ が 投げつけるなげつける よう に うし ろ から 叫 《 さけ 》 びました 。
ジョバンニ は 、 ばっ と 胸むね が つめたく なり 、 そこら 中ちゅう き ぃんと 鳴るなる よう に 思いおもい まし た 。
「 何なに だい 。 ザネリ 。 」 と ジョバンニ は 高くたかく 叫びさけび 返しかえし まし た が もう ザネリ は 向うむこう の ひ ば の 植うえ っ た 家いえ の 中なか へ はいっ て い まし た 。
「 ザネリ は どうして ぼく が なんにも し ない のに あんな こと を 云ういう の だろ う 。 走るはしる とき は まるで 鼠ねずみ 《 ねずみ 》 の よう な くせ に 。 ぼく が なんにも し ない のに あんな こと を 云ういう の は ザネリ が ばか な から だ 。 」
ジョバンニ は 、 せわしく いろいろ の こと を 考えかんがえ ながら 、 さまざま の 灯あかり 《 あかり 》 や 木き の 枝えだ 《 え だ 》 で 、 すっかり きれい に 飾かざり 《 かざ 》 られ た 街まち を 通っとおっ て 行きいき まし た 。 時計とけい 屋や の 店みせ に は 明るくあかるく ネオンねおん 燈 が つい て 、 一いち 秒びょう ごと に 石いし で こさえ た ふくろう の 赤いあかい 眼め 《 め 》 が 、 くるっ くる っと うごい たり 、 いろいろ な 宝石ほうせき が 海うみ の よう な 色いろ を し た 厚いあつい 硝子がらす 《 ガラスがらす 》 の 盤ばん 《 ばん 》 に 載の 《 の 》 って 星ほし の よう に ゆっくり 循 《 めぐ 》 っ たり 、 また 向う側むこうがわ から 、 銅どう の 人馬じんば が ゆっくり こっち へ まわっ て 来き たり する の でし た 。 その まん中まんなか に 円いまるい 黒いくろい 星座せいざ 早見はやみ が 青いあおい アスパラガスあすぱらがす の 葉は で 飾っかざっ て あり まし た 。
ジョバンニ は われ を 忘れわすれ て 、 その 星座せいざ の 図ず に 見入りみいり まし た 。
それ は ひる 学校がっこう で 見み た あの 図ず より はず うっ と 小さかっちいさかっ た の です が その 日ひ と 時間じかん に 合せあわせ て 盤ばん を まわす と 、 その とき 出で て いる そ ら が そのまま 楕円だえん 形がた 《 だ え ん けい 》 の なか に めぐっ て あらわれる よう に なっ て 居い 《 お 》 り やはり その まん中まんなか に は 上うえ から 下した へ かけ て 銀河ぎんが が ぼう と けむっ た よう な 帯おび に なっ て その 下した の 方ほう で は かすか に 爆発ばくはつ 《 ばく はつ 》 し て 湯気ゆげ で も あげ て いる よう に 見えるみえる の でし た 。 また その うし ろ に は 三さん 本ほん の 脚あし 《 あし 》 の つい た 小さなちいさな 望遠鏡ぼうえんきょう が 黄いろきいろ に 光っひかっ て 立ったっ て い まし た し いちばん うし ろ の 壁かべ 《 か べ 》 に は 空そら じゅう の 星座せいざ を ふしぎ な 獣しし 《 け もの 》 や 蛇へび 《 へび 》 や 魚さかな や 瓶びん 《 びん 》 の 形かたち に 書いかい た 大きなおおきな 図ず が かかっ て い まし た 。 ほんとう に こんな よう な 蝎 《 さそり 》 だの 勇士ゆうし だの そら に ぎっしり 居るいる だろ う か 、 ああ ぼく は その 中なか を どこ まで も 歩いあるい て 見み たい と 思っおもっ て たり し て しばらく ぼんやり 立ったっ て 居い まし た 。
それから 俄にわか 《 に わ 》 か に お母さんおかあさん の 牛乳ぎゅうにゅう の こと を 思いだしおもいだし て ジョバンニ は その 店みせ を はなれ まし た 。 そして きゅう くつ な 上着うわぎ の 肩かた 《 かた 》 を 気き に し ながら それでも わざと 胸むね を 張っはっ て 大きくおおきく 手て を 振っふっ て 町まち を 通っとおっ て 行きいき まし た 。
空気くうき は 澄きよし 《 す 》 みきっ て 、 まるで 水みず の よう に 通りとおり や 店みせ の 中なか を 流れながれ まし た し 、 街まち 燈 は みな まっ青まっさお な もみ や 楢なら 《 なら 》 の 枝えだ で 包まつつま れ 、 電気でんき 会社かいしゃ の 前まえ の 六ろく 本ほん の プラタヌス の 木き など は 、 中なか に 沢山たくさん 《 たくさん 》 の 豆まめ 電でん 燈 が つい て 、 ほんとう に そこら は 人魚にんぎょ の 都と の よう に 見えるみえる の でし た 。 子どもこども ら は 、 みんな 新しん らしい 折おり の つい た 着物きもの を 着き て 、 星ほし めぐり の 口笛くちぶえ 《 くち ぶ え 》 を 吹 《 ふ 》 い たり 、
「 ケンタウルス 、 露つゆ 《 つゆ 》 を ふらせ 。 」 と 叫んさけん で 走っはしっ たり 、 青いあおい マグネシヤ の 花火はなび を 燃しもし たり し て 、 たのし そう に 遊んあそん で いる の でし た 。 けれども ジョバンニ は 、 いつか また 深くふかく 首くび を 垂れたれ て 、 そこら のに ぎやかさとはまるでちがったことを 考えかんがえ ながら 、 牛乳ぎゅうにゅう 屋や の 方ほう へ 急ぐいそぐ の でし た 。
ジョバンニ は 、 いつか 町はずれまちはずれ の ポプラぽぷら の 木き が 幾いく 本ほん 《 いく ほん 》 も 幾いく 本ほん も 、 高くたかく 星ほし ぞ ら に 浮 《 う か 》 んで いる ところ に 来き て い まし た 。 その 牛乳ぎゅうにゅう 屋や の 黒いくろい 門もん を 入りはいり 、 牛うし の 匂におい 《 におい 》 の する うす くらい 台所だいどころ の 前まえ に 立ったっ て 、 ジョバンニ は 帽子ぼうし 《 ぼうし 》 を ぬい で 「 今晩こんばん は 、 」 と 云いいい まし たら 、 家いえ の 中なか は し ぃんとして 誰だれ 《 たれ 》 も 居い た よう で は あり ませ ん でし た 。
「 今晩こんばん は 、 ごめんなさい 。 」 ジョバンニ は まっすぐ に 立ったっ て また 叫びさけび まし た 。 すると しばらく たって から 、 年とし | 老ろう 《 と 》 っ た 女おんな の 人ひと が 、 どこ か 工合ぐあい 《 ぐあい 》 が 悪いわるい よう に そろそろ と 出で て 来き て 何なに か 用よう か と 口くち の 中なか で 云いいい まし た 。
「 あの 、 今日きょう 、 牛乳ぎゅうにゅう が 僕ぼく 《 ぼく 》 ※ とこ へ 来こ なかっ た ので 、 貰もらい 《 もら 》 い に あがっ た ん です 。 」 ジョバンニ が 一生けん命いっしょうけんめい | 勢ぜい 《 いきおい 》 よく 云いいい まし た 。
「 いま 誰だれ も い ない で わかり ませ ん 。 あした に し て 下さいください 。 」
その 人ひと は 、 赤いあかい 眼め の 下した の とこ を 擦こす 《 こす 》 り ながら 、 ジョバンニ を 見おろしみおろし て 云いいい まし た 。
「 おっかさん が 病気びょうき な ん です から 今晩こんばん で ない と 困るこまる ん です 。 」
「 では もう少しもうすこし たって から 来き て ください 。 」 その 人ひと は もう 行っいっ て しまい そう でし た 。
「 そう です か 。 では ありがとう 。 」 ジョバンニ は 、 お辞儀おじぎ 《 じ ぎ 》 を し て 台所だいどころ から 出で まし た 。
十字じゅうじ に なっ た 町まち の か ど を 、 まがろ う と し まし たら 、 向うむこう の 橋はし へ 行くいく 方ほう の 雑貨ざっか 店てん の 前まえ で 、 黒いくろい 影かげ や ぼんやり 白いしろい シャツしゃつ が 入り乱れいりみだれ て 、 六ろく 七なな 人にん の 生徒せいと ら が 、 口笛くちぶえ を 吹いふい たり 笑っわらっ たり し て 、 めいめい 烏瓜からすうり の 燈 火ひ 《 あかり 》 を 持っもっ て やっ て 来るくる の を 見み まし た 。 その 笑い声わらいごえ も 口笛くちぶえ も 、 みんな 聞ききき おぼえ の ある もの でし た 。 ジョバンニ の 同級どうきゅう の 子供こども ら だっ た の です 。 ジョバンニ は 思わおもわ ず ど きっと し て 戻もど 《 もど 》 ろう と し まし た が 、 思い直しおもいなおし て 、 一いち そう 勢ぜい よく そっち へ 歩いあるい て 行きいき まし た 。
「 川かわ へ 行くいく の 。 」 ジョバンニ が 云おいお う として 、 少しすこし のど が つまっ た よう に 思っおもっ た とき 、
「 ジョバンニ 、 ら っ この 上着うわぎ が 来るくる よ 。 」 さっき の ザネリ が また 叫びさけび まし た 。
「 ジョバンニ 、 ら っ この 上着うわぎ が 来るくる よ 。 」 すぐ みんな が 、 続いつづい て 叫びさけび まし た 。 ジョバンニ は まっ 赤あか に なっ て 、 もう 歩いあるい て いる か も わから ず 、 急いいそい で 行きいき すぎよ う と し まし たら 、 その なか に カムパネルラ が 居い た の です 。 カムパネルラ は 気の毒きのどく そう に 、 だまっ て 少しすこし わらっ て 、 怒いか 《 おこ 》 ら ない だろ う か という よう に ジョバンニ の 方ほう を 見み て い まし た 。
ジョバンニ は 、 遁 《 に 》 げ る よう に その 眼め を 避 《 さ 》 け 、 そして カムパネルラ の せい の 高いたかい かたち が 過ぎすぎ て 行っいっ て 間もなくまもなく 、 みんな は てんでに 口笛くちぶえ を 吹きふき まし た 。 町まち か ど を 曲るまがる とき 、 ふりかえっ て 見み まし たら 、 ザネリ が やはり ふりかえっ て 見み て い まし た 。 そして カムパネルラ も また 、 高くたかく 口笛くちぶえ を 吹いふい て 向うむこう に ぼんやり 見えるみえる 橋はし の 方ほう へ 歩いあるい て 行っいっ て しまっ た の でし た 。 ジョバンニ は 、 なんとも 云えいえ ず さびしく なっ て 、 いきなり 走り出しはしりだし まし た 。 すると 耳みみ に 手て を あて て 、 わあ あ と 云いいい ながら 片足かたあし で ぴょんぴょん 跳 《 と 》 ん で い た 小さなちいさな 子供こども ら は 、 ジョバンニ が 面白おもしろ 《 おもし ろ 》 く て かける の だ と 思っおもっ て わあ いと 叫びさけび まし た 。 まもなく ジョバンニ は 黒いくろい 丘おか 《 おか 》 の 方ほう へ 急ぎいそぎ まし た 。
✦ Peek五ご 、 天気てんき 輪わ 《 てんき りん 》 の 柱はしら
✦ Peek牧場ぼくじょう の うし ろ は ゆるい 丘おか に なっ て 、 その 黒いくろい 平らたいら な 頂上ちょうじょう は 、 北きた の 大熊おおくま 星ぼし 《 おお ぐまぼし 》 の 下した に 、 ぼんやり ふだん より も 低くひくく 連れん って 見えみえ まし た 。
ジョバンニ は 、 もう 露ろ の 降りふり かかっ た 小さなちいさな 林はやし の こ みち を 、 どんどん のぼっ て 行きいき まし た 。 まっ くら な 草くさ や 、 いろいろ な 形かたち に 見えるみえる やぶ の しげみ の 間ま を 、 その 小さなちいさな みち が 、 一すじひとすじ 白くしろく 星あかりほしあかり に 照らしてらし ださ れ て あっ た の です 。 草くさ の 中なか に は 、 ぴかぴか 青あお びかりを 出すだす 小さなちいさな 虫むし も い て 、 ある 葉は は 青くあおく すかし 出さださ れ 、 ジョバンニ は 、 さっき みんな の 持っもっ て 行っいっ た 烏瓜からすうり 《 からす うり 》 の あかり の よう だ と も 思いおもい まし た 。
その まっ黒まっくろ な 、 松まつ や 楢なら 《 なら 》 の 林はやし を 越こし 《 こ 》 える と 、 俄にわか 《 に わ 》 か に がらんと 空そら が ひらけ て 、 天てん 《 あま 》 の 川かわ 《 が わ 》 が しらし ら と 南みなみ から 北きた へ 亘わたる 《 わた 》 って いる の が 見えみえ 、 また 頂いただき 《 いただき 》 の 、 天気てんき 輪わ の 柱はしら も 見み わけ られ た の でし た 。 つり が ね そう か 野の ぎく か の 花はな が 、 そこら いち めん に 、 夢ゆめ 《 ゆめ 》 の 中なか から で も 薫かおる 《 かお 》 り だし た という よう に 咲きさき 、 鳥とり が 一いち | 疋 《 ぴき 》 、 丘おか の 上うえ を 鳴きなき 続けつづけ ながら 通っかよっ て 行きいき まし た 。
ジョバンニ は 、 頂いただき の 天気てんき 輪わ の 柱はしら の 下した に 来き て 、 どかどか する から だ を 、 つめたい 草くさ に 投げなげ まし た 。
町まち の 灯あかり は 、 暗くら 《 やみ 》 の 中なか を まるで 海うみ の 底そこ の お宮おみや の けしき の よう に ともり 、 子供こども ら の 歌ううたう 声こえ や 口笛くちぶえ 、 きれ ぎれの 叫 《 さけ 》 び 声ごえ も かすか に 聞えきこえ て 来るくる の でし た 。 風かぜ が 遠くとおく で 鳴りなり 、 丘おか の 草くさ も しずか に そよぎ 、 ジョバンニ の 汗あせ 《 あせ 》 で ぬれ た シャツしゃつ も つめたく 冷さひやさ れ まし た 。 ジョバンニ は 町まち の はずれ から 遠くとおく 黒くくろく ひろがっ た 野原のはら を 見み わたし まし た 。
そこ から 汽車きしゃ の 音おと が 聞えきこえ て き まし た 。 その 小さなちいさな 列車れっしゃ の 窓まど は 一いち 列れつ 小さくちいさく 赤くあかく 見えみえ 、 その 中なか に は たくさん の 旅人たびびと が 、 苹果りんご 《 りんご 》 を 剥 《 む 》 い たり 、 わらっ たり 、 いろいろ な 風かぜ に し て いる と 考えかんがえ ます と 、 ジョバンニ は 、 もう 何なに と も 云えいえ ず かなしく なっ て 、 また 眼め を そら に 挙げあげ まし た 。
ああ あの 白いしろい そら の 帯おび が みんな 星ぼし だ と いう ぞ 。
ところが いくら 見み て い て も 、 その そら は ひる 先生せんせい の 云っゆっ た よう な 、 がらん と し た 冷ひや いとこ だ と は 思わおもわ れ ませ ん でし た 。 それどころ で なく 、 見れみれ ば 見るみる ほど 、 そこ は 小さなちいさな 林はやし や 牧場ぼくじょう やら ある 野原のはら の よう に 考えかんがえ られ て 仕方しかた なかっ た の です 。 そして ジョバンニ は 青いあおい 琴きん 《 こと 》 の 星ほし が 、 三つみっつ に も 四つよっつ に も なっ て 、 ちらちら 瞬まどか 《 また た 》 き 、 脚あし が 何なに べ ん も 出で たり 引っひっ 込こみ 《 こ 》 ん だり し て 、 とうとう 蕈 《 きのこ 》 の よう に 長くながく 延びるのびる の を 見み まし た 。 また すぐ 眼め の 下した の まち まで が やっぱり ぼんやり し た たくさん の 星ほし の 集りあつまり か 一つひとつ の 大きなおおきな けむり かの よう に 見えるみえる よう に 思いおもい まし た 。
✦ Peek六ろく 、 銀河ぎんが ステーションすてえしょん
✦ Peekそして ジョバンニ は すぐ うし ろ の 天気てんき 輪わ の 柱はしら が いつか ぼんやり し た 三角さんかく 標しるべ の 形かたち に なっ て 、 しばらく 蛍ほたる 《 ほた る 》 の よう に 、 ぺかぺか 消えきえ たり ともっ たり し て いる の を 見み まし た 。 それ は だんだん はっきり し て 、 とうとう りん と うごか ない よう に なり 、 濃こ 《 こ 》 い 鋼こう 青あお 《 こうせい 》 の そら の 野原のはら に たち まし た 。 いま 新しん らしく 灼 《 や 》 い た ばかり の 青いあおい 鋼はがね 《 はが ね 》 の 板いた の よう な 、 そら の 野原のはら に 、 まっすぐ に すき っと 立ったっ た の です 。
すると どこ か で 、 ふしぎ な 声こえ が 、 銀河ぎんが ステーションすてえしょん 、 銀河ぎんが ステーションすてえしょん と 云うん 《 い 》 う 声こえ が し た と 思うおもう と いきなり 眼め の 前まえ が 、 ぱっと 明るくあかるく なっ て 、 まるで 億おく 万まん の 蛍烏賊ほたるいか 《 ほた るい か 》 の 火ひ を 一いち ぺん に 化石かせき さ せ て 、 そら 中なか に 沈 《 しず 》 め た という 工合ぐあい 《 ぐあい 》 、 また ダイアモンド 会社かいしゃ で 、 ね だ ん が やすく なら ない ため に 、 わざと 穫か 《 と 》 れ ない ふり を し て 、 かくして 置いおい た 金剛石こんごうせき 《 こん ご うせ き 》 を 、 誰だれ 《 たれ 》 か が いきなり ひっくりかえし て 、 ばら 撒 《 ま 》 い た という 風かぜ に 、 眼め の 前まえ が さ あっ と 明るくあかるく なっ て 、 ジョバンニ は 、 思わずおもわず 何なに べ ん も 眼め を 擦こす 《 こす 》 って しまい まし た 。
気き が つい て みる と 、 さっき から 、 ごと ごと ごと ごと 、 ジョバンニ の 乗っのっ て いる 小さなちいさな 列車れっしゃ が 走りはしり つづけ て い た の でし た 。 ほんとう に ジョバンニ は 、 夜よる の 軽便鉄道けいべんてつどう の 、 小さなちいさな 黄いろきいろ の 電でん 燈 の ならん だ 車くるま 室しつ に 、 窓まど から 外そと を 見み ながら 座ざ 《 すわ 》 って い た の です 。 車くるま 室しつ の 中なか は 、 青いあおい 天蚕てんさん 絨 《 びろう ど 》 を 張っはっ た 腰掛こしかけ 《 こ しか 》 けが 、 まるで がら 明きあき で 、 向うむこう の 鼠ねずみ 《 ねずみ 》 いろ の ワニスわにす を 塗っぬっ た 壁かべ 《 か べ 》 に は 、 真鍮しんちゅう 《 しん ち ゅう 》 の 大きなおおきな ぼ たん が 二つふたつ 光っひかっ て いる の でし た 。
すぐ 前まえ の 席せき に 、 ぬれ た よう に まっ黒まっくろ な 上着うわぎ を 着き た 、 せい の 高いたかい 子供こども が 、 窓まど から 頭あたま を 出しだし て 外そと を 見み て いる の に 気が付ききがつき まし た 。 そして その こども の 肩かた 《 かた 》 の あたり が 、 どうも 見み た こと の ある よう な 気き が し て 、 そう 思うおもう と 、 もう どうしても 誰だれ だ か わかり たく て 、 たまらなく なり まし た 。 いきなり こっち も 窓まど から 顔かお を 出そだそ う と し た とき 、 俄にわか か に その 子供こども が 頭あたま を 引っ込めひっこめ て 、 こっち を 見み まし た 。
それ は カムパネルラ だっ た の です 。
ジョバンニ が 、 カムパネルラ 、 きみ は 前まえ から ここ に 居い た の と 云おいお う と 思っおもっ た とき 、 カムパネルラ が
「 みんな はね ずいぶん 走っはしっ た けれども 遅おそ 《 おく 》 れ て しまっ た よ 。 ザネリ も ね 、 ずいぶん 走っはしっ た けれども 追いつかおいつか なかっ た 。 」 と 云いいい まし た 。
ジョバンニ は 、 ( そう だ 、 ぼく たち は いま 、 いっしょ に さそっ て 出掛けでかけ た の だ 。 ) と おもい ながら 、
「 どこ か で 待っまっ て いよ う か 」 と 云いいい まし た 。 すると カムパネルラ は
「 ザネリ は もう 帰っかえっ た よ 。 お父さんおとうさん が 迎むかい 《 むか 》 い に き た ん だ 。 」
カムパネルラ は 、 なぜ か そう 云いいい ながら 、 少しすこし 顔かお いろ が 青ざめあおざめ て 、 どこ か 苦しいくるしい という ふう でし た 。 すると ジョバンニ も 、 なんだか どこ か に 、 何なに か 忘れわすれ た もの が ある という よう な 、 おかしな 気持ちきもち が し て だまっ て しまい まし た 。
ところが カムパネルラ は 、 窓まど から 外そと を のぞき ながら 、 もう すっかり 元気げんき が 直っなおっ て 、 勢ぜい 《 いきおい 》 よく 云いいい まし た 。
「 ああ しまっ た 。 ぼく 、 水筒すいとう 《 す いとう 》 を 忘れわすれ て き た 。 スケッチすけっち 帳ちょう も 忘れわすれ て き た 。 けれど 構わかまわ ない 。 もう じき 白鳥はくちょう の 停車場ていしゃじょう だ から 。 ぼく 、 白鳥はくちょう を 見るみる なら 、 ほんとう に すき だ 。 川かわ の 遠くとおく を 飛んとん で い た って 、 ぼく は きっと 見えるみえる 。 」 そして 、 カムパネルラ は 、 円いまるい 板いた の よう に なっ た 地図ちず を 、 しきりに ぐるぐる まわし て 見み て い まし た 。 まったく その 中なか に 、 白くしろく あらわさ れ た 天の川あまのがわ の 左ひだり の 岸きし に 沿っそっ て 一いち 条じょう の 鉄道てつどう 線路せんろ が 、 南みなみ へ 南みなみ へ と たどっ て 行くいく の でし た 。 そして その 地図ちず の 立派りっぱ な こと は 、 夜よる の よう に まっ黒まっくろ な 盤ばん 《 ばん 》 の 上うえ に 、 一いち 一いち の 停車場ていしゃじょう や 三角さんかく 標しるべ 《 さん かく ひょう 》 、 泉水せんすい や 森もり が 、 青あお や 橙だいだい 《 だいだい 》 や 緑みどり や 、 うつくしい 光ひかり で ちりばめ られ て あり まし た 。 ジョバンニ は なんだか その 地図ちず を どこ か で 見み た よう に おもい まし た 。
「 この 地図ちず は どこ で 買っかっ た の 。 黒曜石こくようせき で でき てる ねえ 。 」
ジョバンニ が 云いいい まし た 。
「 銀河ぎんが ステーションすてえしょん で 、 もらっ た ん だ 。 君きみ もらわ なかっ た の 。 」
「 ああ 、 ぼく 銀河ぎんが ステーションすてえしょん を 通っとおっ たろ う か 。 いま ぼく たち の 居るいる とこ 、 ここ だろ う 。 」
ジョバンニ は 、 白鳥はくちょう と 書いかい て ある 停車場ていしゃじょう の しるし の 、 すぐ 北きた を 指ゆび 《 さ 》 し まし た 。
「 そう だ 。 おや 、 あの 河原かわはら 《 かわら 》 は 月夜つきよ だろ う か 。 」
そっち を 見み ます と 、 青白くあおじろく 光るひかる 銀河ぎんが の 岸きし に 、 銀ぎん いろ の 空そら の すすき が 、 もう まるで いち めん 、 風かぜ に さらさら さらさら 、 ゆら れ て うごい て 、 波なみ を 立てたて て いる の でし た 。
「 月夜つきよ で ない よ 。 銀河ぎんが だ から 光るひかる ん だ よ 。 」 ジョバンニ は 云いいい ながら 、 まるで はね 上りのぼり たい くらい 愉快ゆかい 《 ゆか い 》 に なっ て 、 足あし を こつこつ 鳴らしならし 、 窓まど から 顔かお を 出しだし て 、 高くたかく 高くたかく 星ほし めぐり の 口笛くちぶえ 《 くち ぶ え 》 を 吹 《 ふ 》 き ながら 一生けん命いっしょうけんめい 延びのび あがっ て 、 その 天の川あまのがわ の 水みず を 、 見きわめよみきわめよ う と し まし た が 、 はじめ は どうしても それ が 、 はっきり し ませ ん でし た 。 けれども だんだん 気き を つけ て 見るみる と 、 その きれい な 水みず は 、 ガラスがらす より も 水素すいそ より も すきとおっ て 、 ときどき 眼め 《 め 》 の 加減かげん か 、 ちらちら 紫むらさき 《 むらさ き 》 いろ の こまか な 波なみ を たて たり 、 虹にじ 《 にじ 》 の よう に ぎらっと 光っひかっ たり し ながら 、 声こえ も なく どんどん 流れながれ て 行きいき 、 野原のはら に は あっち に も こっち に も 、 燐光りんこう 《 りん こう 》 の 三角さんかく 標しるべ が 、 うつくしく 立ったっ て い た の です 。 遠いとおい もの は 小さくちいさく 、 近いちかい もの は 大きくおおきく 、 遠いとおい もの は 橙だいだい や 黄いろきいろ で はっきり し 、 近いちかい もの は 青白くあおじろく 少しすこし かすん で 、 或ある 《 ある 》 い は 三角形さんかっけい 、 或いはあるいは 四よん 辺へん 形がた 、 あるいは 電でん 《 いな ず ま 》 や 鎖くさり 《 くさり 》 の 形かたち 、 さまざま に ならん で 、 野原のはら いっぱい 光っひかっ て いる の でし た 。 ジョバンニ は 、 まるで どきどき し て 、 頭あたま を やけに 振ふ 《 ふ 》 り まし た 。 すると ほんとう に 、 その きれい な 野原のはら 中ちゅう の 青あお や 橙だいだい や 、 いろいろ かがやく 三角さんかく 標しるべ も 、 てんでに 息いき を つく よう に 、 ちらちら ゆれ たり 顫 《 ふる 》 え たり し まし た 。
「 ぼく は もう 、 すっかり 天てん の 野原のはら に 来き た 。 」 ジョバンニ は 云いいい まし た 。
「 それに この 汽車きしゃ 石炭せきたん を たいてい ない ねえ 。 」 ジョバンニ が 左手ひだりて を つき 出しだし て 窓まど から 前まえ の 方ほう を 見み ながら 云いいい まし た 。
「 アルコールあるこうる か 電気でんき だろ う 。 」 カムパネルラ が 云いいい まし た 。
ごと ごと ごと ごと 、 その 小さなちいさな きれい な 汽車きしゃ は 、 そら の すすき の 風かぜ に ひるがえる 中なか を 、 天の川あまのがわ の 水みず や 、 三角さんかく 点てん の 青じろいあおじろい 微光びこう 《 びこう 》 の 中なか を 、 どこ まで も どこ まで もと 、 走っはしっ て 行くいく の でし た 。
「 ああ 、 りんどう の 花はな が 咲いさい て いる 。 もう すっかり 秋あき だ ねえ 。 」 カムパネルラ が 、 窓まど の 外そと を 指さしゆびさし て 云いいい まし た 。
線路せんろ の へり に なっ た みじかい 芝草しばくさ 《 しば く さ 》 の 中なか に 、 月つき 長石ちょうせき で でも 刻こく 《 きざ 》 まれ た よう な 、 すばらしい 紫むらさき の りんどう の 花はな が 咲いさい て い まし た 。
「 ぼく 、 飛び下りとびおり て 、 あいつ を とっ て 、 また 飛び乗っとびのっ て みせよ う か 。 」 ジョバンニ は 胸むね を 躍おど 《 おど 》 ら せ て 云いいい まし た 。
「 もう だめ だ 。 あんなに うし ろ へ 行っいっ て しまっ た から 。 」
カムパネルラ が 、 そう 云っゆっ て しまう か しまわ ない うち 、 次つぎ の りんどう の 花はな が 、 いっぱい に 光っひかっ て 過ぎすぎ て 行きいき まし た 。
と 思っおもっ たら 、 もう 次つぎ から 次つぎ から 、 たくさん の きいろ な 底そこ を もっ た りんどう の 花はな の コップこっぷ が 、 湧ゆう 《 わ 》 く よう に 、 雨あめ の よう に 、 眼め の 前まえ を 通りとおり 、 三角さんかく 標しるべ の 列れつ は 、 けむる よう に 燃えるもえる よう に 、 いよいよ 光っひかっ て 立ったっ た の です 。
✦ Peek七なな 、 北きた 十字じゅうじ と プリオシン 海岸かいがん
✦ Peek「 おっかさん は 、 ぼく を ゆるし て 下さるくださる だろ う か 。 」
いきなり 、 カムパネルラ が 、 思い切っおもいきっ た という よう に 、 少しすこし どもり ながら 、 急きゅう 《 せ 》 きこん で 云うん 《 い 》 い まし た 。
ジョバンニ は 、
( ああ 、 そう だ 、 ぼく の おっかさん は 、 あの 遠いとおい 一つひとつ の ちり の よう に 見えるみえる 橙だいだい 《 だいだい 》 いろ の 三角さんかく 標しるべ の あたり に いらっしゃっ て 、 いま ぼく の こと を 考えかんがえ て いる ん だっ た 。 ) と 思いおもい ながら 、 ぼんやり し て だまっ て い まし た 。
「 ぼく は おっかさん が 、 ほんとう に 幸こう 《 さいわい 》 に なる なら 、 どんな こと でも する 。 けれども 、 いったい どんな こと が 、 おっかさん の いちばん の 幸こう な ん だろ う 。 」 カムパネルラ は 、 なんだか 、 泣きなき だし たい の を 、 一生けん命いっしょうけんめい こらえ て いる よう でし た 。
「 きみ の おっかさん は 、 なんにも ひどい こと ない じゃ ない の 。 」 ジョバンニ は びっくり し て 叫 《 さけ 》 びました 。
「 ぼく わから ない 。 けれども 、 誰だれ 《 たれ 》 だって 、 ほんとう に いい こと を し たら 、 いちばん 幸こう な ん だ ねえ 。 だから 、 おっかさん は 、 ぼく を ゆるし て 下さるくださる と 思うおもう 。 」 カムパネルラ は 、 なにか ほんとう に 決心けっしん し て いる よう に 見えみえ まし た 。
俄にわか 《 に わ 》 か に 、 車くるま の なか が 、 ぱっと 白くしろく 明るくあかるく なり まし た 。 見るみる と 、 もう じつに 、 金剛石こんごうせき 《 こん ご うせ き 》 や 草くさ の 露つゆ 《 つゆ 》 や あらゆる 立派りっぱ さ を あつめ た よう な 、 きらびやか な 銀河ぎんが の 河床かしょう 《 か わ どこ 》 の 上うえ を 水みず は 声こえ も なく かたち も なく 流れながれ 、 その 流れながれ の まん中まんなか に 、 ぼうっと 青白くあおじろく 後光ごこう の 射い 《 さ 》 し た 一つひとつ の 島しま が 見えるみえる の でし た 。 その 島しま の 平らたいら な いただき に 、 立派りっぱ な 眼め も さめる よう な 、 白いしろい 十字架じゅうじか 《 じゅう じ か 》 が たっ て 、 それ は もう 凍こお 《 こお 》 っ た 北極ほっきょく の 雲くも で 鋳い 《 い 》 た と いっ たら いい か 、 すき っと し た 金きん いろ の 円光えんこう を いただい て 、 しずか に 永久えいきゅう に 立ったっ て いる の でし た 。
「 ハルレヤ 、 ハルレヤ 。 」 前まえ から もう しろから も 声こえ が 起りおこり まし た 。 ふりかえっ て 見るみる と 、 車くるま 室しつ の 中なか の 旅人たびびと たち は 、 みな まっすぐ に きもの の ひだ を 垂れたれ 、 黒いくろい バイブルばいぶる を 胸むね に あて たり 、 水晶すいしょう 《 すいしょ う 》 の 珠たま 数すう 《 じゅず 》 を かけ たり 、 どの 人ひと も つつましく 指ゆび を 組み合せくみあわせ て 、 そっち に 祈いの 《 い の 》 って いる の でし た 。 思わずおもわず 二に 人にん も まっすぐ に 立ちあがりたちあがり まし た 。 カムパネルラ の 頬ほお 《 ほほ 》 は 、 まるで 熟しじゅくし た 苹果りんご 《 りんご 》 の あかし の よう に うつくしく かがやい て 見えみえ まし た 。
そして 島しま と 十字架じゅうじか と は 、 だんだん うし ろ の 方ほう へ うつっ て 行きいき まし た 。
向う岸むこうぎし も 、 青じろくあおじろく ぽうっと 光っひかっ て けむり 、 時々ときどき 、 やっぱり すすき が 風かぜ に ひるがえる らしく 、 さっと その 銀ぎん いろ が けむっ て 、 息いき で も かけ た よう に 見えみえ 、 また 、 たくさん の りんどう の 花はな が 、 草くさ を かくれ たり 出で たり する の は 、 やさしい 狐火きつねび 《 きつね び 》 の よう に 思わおもわ れ まし た 。
それ も ほんの ちょっと の 間ま 、 川かわ と 汽車きしゃ と の 間ま は 、 すすき の 列れつ で さえぎら れ 、 白鳥はくちょう の 島しま は 、 二に 度ど ばかり 、 うし ろ の 方ほう に 見えみえ まし た が 、 じき も うず うっ と 遠くとおく 小さくちいさく 、 絵え の よう に なっ て しまい 、 また すすき が ざわざわ 鳴っなっ て 、 とうとう すっかり 見えみえ なく なっ て しまい まし た 。 ジョバンニ の うし ろ に は 、 いつ から 乗っのっ て い た の か 、 せい の 高いたかい 、 黒いくろい か つぎ を し た カトリックかとりっく 風ふう の 尼あま 《 あま 》 さん が 、 ま ん 円つぶら な 緑みどり の 瞳ひとみ 《 ひとみ 》 を 、 じっと まっすぐ に 落しおとし て 、 まだ 何なに か ことば か 声こえ か が 、 そっち から 伝わっつたわっ て 来るくる の を 、 虔けん 《 つつ し 》 ん で 聞いきい て いる という よう に 見えみえ まし た 。 旅人たびびと たち は しずか に 席せき に 戻もど 《 もど 》 り 、 二に 人にん も 胸むね いっぱい の かなしみ に 似に た 新しん らしい 気持ちきもち を 、 何気なくなにげなく ちがっ た 語かたり 《 ことば 》 で 、 そっと 談だん 《 はな 》 し 合っあっ た の です 。
「 もう じき 白鳥はくちょう の 停車場ていしゃじょう だ ねえ 。 」
「 ああ 、 十じゅう 一いち 時じ か っきり に は 着くつく ん だ よ 。 」
早くはやく も 、 シグナルしぐなる の 緑みどり の 燈 《 あかり 》 と 、 ぼんやり 白いしろい 柱はしら と が 、 ちらっと 窓まど の そ と を 過ぎすぎ 、 それから 硫黄いおう 《 いおう 》 の ほ の おの よう な くらい ぼんやり し た 転てん てつ 機き の 前まえ の あかり が 窓まど の 下した を 通りとおり 、 汽車きしゃ は だんだん ゆるやか に なっ て 、 間もなくまもなく プラットホームぷらっとほうむ の 一いち 列れつ の 電でん 燈 が 、 うつくしく 規則正しくきそくただしく あらわれ 、 それ が だんだん 大きくおおきく なっ て ひろがっ て 、 二に 人にん は 丁度ちょうど 白鳥はくちょう 停車ていしゃ 場じょう の 、 大きなおおきな 時計とけい の 前まえ に 来き て とまり まし た 。
さわやか な 秋あき の 時計とけい の 盤面ばんめん 《 ダイアルだいある 》 に は 、 青くあおく 灼 《 や 》 かれ た は が ね の 二に 本ほん の 針はり が 、 くっきり 十じゅう 一いち 時じ を 指しさし まし た 。 みんな は 、 一いち ぺん に 下りおり て 、 車くるま 室しつ の 中なか は がらんと なっ て しまい まし た 。
〔 二に 十じゅう 分ふん 停車ていしゃ 〕 と 時計とけい の 下した に 書いかい て あり まし た 。
「 ぼく たち も 降りおり て 見よみよ う か 。 」 ジョバンニ が 云いいい まし た 。
「 降りよおりよ う 。 」
二に 人にん は 一いち 度ど に はねあがっ て ドアどあ を 飛び出しとびだし て 改札かいさつ 口ぐち 《 かいさ つ ぐち 》 へ かけ て 行きいき まし た 。 ところが 改札かいさつ 口ぐち に は 、 明るいあかるい 紫むらさき 《 むらさ き 》 がかっ た 電でん 燈 が 、 一つひとつ 点てん 《 つ 》 い て いる ばかり 、 誰だれ 《 たれ 》 も 居い ませ ん でし た 。 そこら 中ちゅう を 見み て も 、 駅長えきちょう や 赤帽あかぼう 《 あか ぼう 》 らしい 人ひと の 、 影かげ 《 かげ 》 も なかっ た の です 。
二に 人にん は 、 停車場ていしゃじょう の 前まえ の 、 水晶すいしょう 細工ざいく の よう に 見えるみえる 銀杏いちょう 《 いちょう 》 の 木き に 囲まかこま れ た 、 小さなちいさな 広場ひろば に 出で まし た 。 そこ から 幅はば 《 は ば 》 の 広いひろい みち が 、 まっすぐ に 銀河ぎんが の 青あお 光こう の 中なか へ 通っとおっ て い まし た 。
さき に 降りおり た 人ひと たち は 、 もう どこ へ 行っいっ た か 一いち 人にん も 見えみえ ませ ん でし た 。 二に 人にん が その 白いしろい 道みち を 、 肩かた 《 かた 》 を ならべ て 行きいき ます と 、 二に 人にん の 影かげ は 、 ちょうど 四方しほう に 窓まど の ある 室しつ 《 へや 》 の 中なか の 、 二に 本ほん の 柱はしら の 影かげ の よう に 、 また 二つふたつ の 車輪しゃりん の 輻や 《 や 》 の よう に 幾いく 本ほん 《 いく ほん 》 も 幾いく 本ほん も 四方しほう へ 出るでる の でし た 。 そして 間もなくまもなく 、 あの 汽車きしゃ から 見えみえ た きれい な 河原かわはら 《 かわら 》 に 来き まし た 。
カムパネルラ は 、 その きれい な 砂すな を 一いち つまみ 、 掌てのひら 《 て の ひら 》 に ひろげ 、 指ゆび できし きし さ せ ながら 、 夢ゆめ 《 ゆめ 》 の よう に 云っゆっ て いる の でし た 。
「 この 砂すな は みんな 水晶すいしょう だ 。 中なか で 小さなちいさな 火ひ が 燃えもえ て いる 。 」
「 そう だ 。 」 どこ で ぼく は 、 そんな こと 習っならっ たろ う と 思いおもい ながら 、 ジョバンニ も ぼんやり 答えこたえ て い まし た 。
河原かわはら の 礫つぶて 《 こいし 》 は 、 みんな すきとおっ て 、 たしかに 水晶すいしょう や 黄玉おうぎょく 《 トパース 》 や 、 また くしゃくしゃ の 皺しわ 曲きょく 《 しゅう きょく 》 を あらわし た の や 、 また 稜りょう 《 か ど 》 から 霧きり 《 きり 》 の よう な 青白いあおじろい 光ひかり を 出すだす 鋼玉こうぎょく やら でし た 。 ジョバンニ は 、 走っはしっ て その 渚なぎさ 《 なぎさ 》 に 行っいっ て 、 水みず に 手て を ひたし まし た 。 けれども あやしい その 銀河ぎんが の 水みず は 、 水素すいそ より も もっと すきとおっ て い た の です 。 それでも たしかに 流れながれ て い た こと は 、 二に 人にん の 手首てくび の 、 水みず に ひたっ た とこ が 、 少しすこし 水銀すいぎん いろ に 浮 《 う 》 い た よう に 見えみえ 、 その 手首てくび に ぶっつかっ て でき た 波なみ は 、 うつくしい 燐光りんこう 《 りん こう 》 を あげ て 、 ちらちら と 燃えるもえる よう に 見えみえ た の で も わかり まし た 。
川上かわかみ の 方ほう を 見るみる と 、 すすきの いっぱい に 生えはえ て いる 崖がけ 《 がけ 》 の 下した に 、 白いしろい 岩いわ が 、 まるで 運動うんどう 場じょう の よう に 平らたいら に 川かわ に 沿っそっ て 出で て いる の でし た 。 そこ に 小さなちいさな 五ご 六ろく 人にん の 人ひと かげ が 、 何なに か 掘ほ 《 ほ 》 り 出すだす か 埋めるうめる か し て いる らしく 、 立ったっ たり 屈 《 か が 》 ん だり 、 時々ときどき なに か の 道具どうぐ が 、 ピカッ と 光っひかっ たり し まし た 。
「 行っおこなっ て みよ う 。 」 二に 人にん は 、 まるで 一いち 度ど に 叫んさけん で 、 そっち の 方ほう へ 走りはしり まし た 。 その 白いしろい 岩いわ に なっ た 処しょ 《 ところ 》 の 入口いりぐち に 、
〔 プリオシン 海岸かいがん 〕 という 、 瀬戸物せともの 《 せ とも の 》 の つるつる し た 標札ひょうさつ が 立ったっ て 、 向うむこう の 渚なぎさ に は 、 ところどころ 、 細いほそい 鉄てつ の 欄干らんかん 《 らん かん 》 も 植えうえ られ 、 木製もくせい の きれい な ベンチべんち も 置いおい て あり まし た 。
「 おや 、 変へん な もの が ある よ 。 」 カムパネルラ が 、 不思議ふしぎ そう に 立ちどまったちどまっ て 、 岩いわ から 黒いくろい 細長いほそながい さき の 尖とが 《 と が 》 っ た くるみ の 実み の よう な もの を ひろい まし た 。
「 くるみ の 実み だ よ 。 そら 、 沢山さわやま 《 たくさん 》 ある 。 流れながれ て 来き た ん じゃ ない 。 岩いわ の 中なか に 入っはいっ てる ん だ 。 」
「 大きいおおきい ね 、 この くるみ 、 倍ばい ある ね 。 こいつ は すこし もい た ん で ない 。 」
「 早くはやく あすこ へ 行っいっ て 見よみよ う 。 きっと 何なに か 掘っほっ てる から 。 」
二に 人にん は 、 ぎざぎざ の 黒いくろい くるみ の 実み を 持ちもち ながら 、 また さっき の 方ほう へ 近ちか よって 行きいき まし た 。 左手ひだりて の 渚なぎさ に は 、 波なみ が やさしい 稲妻いなづま 《 いな ず ま 》 の よう に 燃えもえ て 寄せよせ 、 右手みぎて の 崖がけ に は 、 いち めん 銀ぎん や 貝殻かいがら 《 かい がら 》 で こさえ た よう な すすき の 穂ほ 《 ほ 》 が ゆれ た の です 。
だんだん 近付いちかづい て 見るみる と 、 一いち 人にん の せい の 高いたかい 、 ひどい 近眼きんがん 鏡きょう を かけ 、 長靴ながぐつ 《 な が ぐつ 》 を はい た 学者がくしゃ らしい 人ひと が 、 手帳てちょう に 何なに か せわし そう に 書きつけかきつけ ながら 、 鶴嘴つるはし 《 つるはし 》 を ふり あげ たり 、 スコープすこうぷ を つかっ たり し て いる 、 三さん 人にん の 助手じょしゅ らしい 人ひと たち に 夢中むちゅう 《 むちゅう 》 で いろいろ 指図さしず を し て い まし た 。
「 そこ の その 突起とっき 《 とっ き 》 を 壊 《 こわ 》 さ ない よう に 。 スコープすこうぷ を 使いつかい たまえ 、 スコープすこうぷ を 。 おっ と 、 も 少しすこし 遠くとおく から 掘っほっ て 。 いけ ない 、 いけ ない 。 なぜ そんな 乱暴らんぼう を する ん だ 。 」
見るみる と 、 その 白いしろい 柔やわら 《 やわ 》 ら か な 岩いわ の 中なか から 、 大きなおおきな 大きなおおきな 青じろいあおじろい 獣しし 《 け もの 》 の 骨ほね が 、 横よこ に 倒 《 たお 》 れ て 潰 《 つぶ 》 れ た という 風かぜ に なっ て 、 半分はんぶん 以上いじょう 掘り出さほりださ れ て い まし た 。 そして 気き を つけ て 見るみる と 、 そこら に は 、 蹄ひずめ 《 ひ づめ 》 の 二つふたつ ある 足跡あしあと 《 あし あと 》 の つい た 岩いわ が 、 四角しかく に 十じゅう ばかり 、 きれい に 切り取らきりとら れ て 番号ばんごう が つけ られ て あり まし た 。
「 君たちきみたち は 参観さんかん か ね 。 」 その 大だい 学士がくし らしい 人ひと が 、 眼鏡めがね 《 めがね 》 を きらっ と さ せ て 、 こっち を 見み て 話しかけはなしかけ まし た 。
「 くるみ が 沢山たくさん あっ たろ う 。 それ は まあ 、 ざっと 百ひゃく 二に 十じゅう 万まん 年ねん ぐらい 前まえ の くるみ だ よ 。 ごく 新しん らしい 方ほう さ 。 ここ は 百ひゃく 二に 十じゅう 万まん 年ねん 前まえ 、 第だい 三紀みき の あと の ころ は 海岸かいがん で ね 、 この 下した から は 貝がらかいがら も 出るでる 。 いま 川がわ の 流れながれ て いる とこ に 、 そっくり 塩水えんすい が 寄せよせ たり 引いひい たり も し て い た の だ 。 この け もの か ね 、 これ は ボスぼす と いっ て ね 、 おいおい 、 そこ つるはし は よし たまえ 。 ていねい に 鑿 《 のみ 》 で やっ て くれ た ま え 。 ボスぼす と いっ て ね 、 いま の 牛うし の 先祖せんぞ で 、 昔むかし 《 むかし 》 は たくさん 居い た さ 。 」
「 標本ひょうほん に する ん です か 。 」
「 いや 、 証明しょうめい する に 要よう 《 い 》 る ん だ 。 ぼく ら から みる と 、 ここ は 厚いあつい 立派りっぱ な 地層ちそう で 、 百ひゃく 二に 十じゅう 万まん 年ねん ぐらい 前まえ に でき た という 証拠しょうこ 《 しょう こ 》 も いろいろ あがる けれども 、 ぼく ら と ちがっ た やつ から み て も やっぱり こんな 地層ちそう に 見えるみえる か どう か 、 あるいは 風かぜ か 水みず や がらん と し た 空そら か に 見えみえ やし ない か という こと な の だ 。 わかっ た かい 。 けれども 、 おいおい 。 そこ も スコープすこうぷ で は いけ ない 。 その すぐ 下した に 肋骨ろっこつ 《 ろ っ こ つ 》 が 埋もれうずもれ てる 筈はず 《 はず 》 じゃ ない か 。 」 大だい 学士がくし は あわて て 走っはしっ て 行きいき まし た 。
「 もう 時間じかん だ よ 。 行こいこ う 。 」 カムパネルラ が 地図ちず と 腕時計うでどけい 《 う で どけ い 》 と を くらべ ながら 云いいい まし た 。
「 ああ 、 では わたくし ども は 失礼しつれい いたし ます 。 」 ジョバンニ は 、 ていねい に 大だい 学士がくし に おじぎ し まし た 。
「 そう です か 。 いや 、 さよなら 。 」 大だい 学士がくし は 、 また 忙 《 いそ 》 が し そう に 、 あちこち 歩きあるき まわっ て 監督かんとく 《 かん とく 》 を はじめ まし た 。 二に 人にん は 、 その 白いしろい 岩いわ の 上うえ を 、 一生けん命いっしょうけんめい 汽車きしゃ に おくれ ない よう に 走りはしり まし た 。 そして ほんとう に 、 風かぜ の よう に 走れはしれ た の です 。 息もいきも 切れきれ ず 膝ひざ 《 ひざ 》 も あつく なり ませ ん でし た 。
こんなに し て かける なら 、 もう 世界中せかいじゅう だって かけ れる と 、 ジョバンニ は 思いおもい まし た 。
そして 二に 人にん は 、 前まえ の あの 河原かわら を 通りとおり 、 改札かいさつ 口ぐち の 電でん 燈 が だんだん 大きくおおきく なっ て 、 間もなくまもなく 二に 人にん は 、 もと の 車くるま 室しつ の 席せき に 座ざ 《 すわ 》 って 、 いま 行っおこなっ て 来き た 方ほう を 、 窓まど から 見み て い まし た 。
✦ Peek「 ここ へ かけ て も よう ござい ます か 。 」
がさがさ し た 、 けれども 親切しんせつ そう な 、 大人おとな の 声こえ が 、 二に 人にん の うし ろ で 聞えきこえ まし た 。
それ は 、 茶ちゃ いろ の 少しすこし ぼろぼろ の 外套がいとう 《 が いとう 》 を 着き て 、 白いしろい 巾はば 《 きれ 》 で つつん だ 荷物にもつ を 、 二つふたつ に 分けわけ て 肩かた に 掛かけ 《 か 》 けた 、 赤あか 髯ひげ 《 あか ひ げ 》 のせ なか の かがん だ 人ひと でし た 。
「 ええ 、 いい ん です 。 」 ジョバンニ は 、 少しすこし 肩かた を すぼめ て 挨拶あいさつ 《 あいさつ 》 し まし た 。 その 人ひと は 、 ひ げ の 中なか で かすか に 微笑びしょう 《 わら 》 い ながら 荷物にもつ を ゆっくり 網棚あみだな 《 あみ だ な 》 に のせ まし た 。 ジョバンニ は 、 なにか 大だい へん さびしい よう な かなしい よう な 気き が し て 、 だまっ て 正面しょうめん の 時計とけい を 見み て い まし たら 、 ず うっ と 前まえ の 方ほう で 、 硝子がらす 《 ガラスがらす 》 の 笛ふえ 《 ふえ 》 の よう な もの が 鳴りなり まし た 。 汽車きしゃ は もう 、 しずか に うごい て い た の です 。 カムパネルラ は 、 車くるま 室しつ の 天井てんじょう 《 てんじょう 》 を 、 あちこち 見み て い まし た 。 その 一つひとつ の あかり に 黒いくろい 甲虫かぶとむし 《 かぶとむし 》 が とまっ て その 影かげ が 大きくおおきく 天井てんじょう に うつっ て い た の です 。 赤ひげあかひげ の 人ひと は 、 なにか なつかし そう に わらい ながら 、 ジョバンニ や カムパネルラ の よう す を 見み て い まし た 。 汽車きしゃ は もう だんだん 早くはやく なっ て 、 すすき と 川かわ と 、 かわるがわる 窓まど の 外そと から 光りひかり まし た 。
赤ひげあかひげ の 人ひと が 、 少しすこし おずおず し ながら 、 二に 人にん に 訊 《 き 》 き まし た 。
「 あなた 方かた は 、 どちら へ いらっしゃる ん です か 。 」
「 どこ まで も 行くいく ん です 。 」 ジョバンニ は 、 少しすこし きまり 悪わる そう に 答えこたえ まし た 。
「 それ は いい ね 。 この 汽車きしゃ は 、 じっさい 、 どこ まで でも 行きいき ます ぜ 。 」
「 あなた は どこ へ 行くいく ん です 。 」 カムパネルラ が 、 いきなり 、 喧嘩けんか 《 けんか 》 の よう に たずね まし た ので 、 ジョバンニ は 、 思わずおもわず わらい まし た 。 すると 、 向うむこう の 席せき に 居い た 、 尖っとがっ た 帽子ぼうし を かぶり 、 大きなおおきな 鍵かぎ 《 かぎ 》 を 腰こし 《 こし 》 に 下げさげ た 人ひと も 、 ちらっと こっち を 見み て わらい まし た ので 、 カムパネルラ も 、 つい 顔かお を 赤くあかく し て 笑いわらい だし て しまい まし た 。 ところが その 人ひと は 別にべつに 怒いか 《 おこ 》 っ た でも なく 、 頬ほお 《 ほほ 》 を ぴくぴく し ながら 返事へんじ し まし た 。
「 わっ し は すぐ そこ で 降りおり ます 。 わっ し は 、 鳥とり を つかまえる 商売しょうばい で ね 。 」
「 何なに 鳥とり です か 。 」
「 鶴つる や 雁かり 《 がん 》 です 。 さ ぎも 白鳥はくちょう も です 。 」
「 鶴つる は たくさん い ます か 。 」
「 居い ます とも 、 さっき から 鳴いない て ま さあ 。 聞かきか なかっ た の です か 。 」
「 いいえ 。 」
「 いま でも 聞えるきこえる じゃ あり ませ ん か 。 そら 、 耳みみ を すまし て 聴 《 き 》 い て ごらん なさい 。 」
二に 人にん は 眼め 《 め 》 を 挙げあげ 、 耳みみ を すまし まし た 。 ごと ごと 鳴るなる 汽車きしゃ の ひびき と 、 すすき の 風かぜ と の 間ま から 、 ころん ころん と 水みず の 湧ゆう 《 わ 》 く よう な 音おと が 聞えきこえ て 来るくる の でし た 。
「 鶴つる 、 どうして とる ん です か 。 」
「 鶴つる です か 、 それとも 鷺さぎ 《 さ ぎ 》 です か 。 」
「 鷺さぎ です 。 」 ジョバンニ は 、 どっち でも いい と 思いおもい ながら 答えこたえ まし た 。
「 そいつ は な 、 雑作ぞうさ 《 ぞう さ 》 ない 。 さ ぎというものは 、 みんな 天の川あまのがわ の 砂すな が 凝こご 《 こご 》 って 、 ぼ おっ と できる もん です から ね 、 そして 始終しじゅう 川かわ へ 帰りかえり ます から ね 、 川原かわら で 待っまっ て い て 、 鷺さぎ が みんな 、 脚あし 《 あし 》 を こういう 風かぜ に し て 下りおり て くる とこ を 、 そいつ が 地べたじべた へ つく か つか ない うち に 、 ぴたっと 押 《 お さ 》 え ちまう ん です 。 すると もう 鷺さぎ は 、 かたまっ て 安心あんしん し て 死んしん じまい ます 。 あと は もう 、 わかり 切っきっ て ま さあ 。 押し葉おしば に する だけ です 。 」
「 鷺さぎ を 押し葉おしば に する ん です か 。 標本ひょうほん です か 。 」
「 標本ひょうほん じゃ あり ませ ん 。 みんな たべる じゃ あり ませ ん か 。 」
「 おかしい ねえ 。 」 カムパネルラ が 首くび を かしげ まし た 。
「 おかしい も 不審ふしん 《 ふし ん 》 も あり ませ ん や 。 そら 。 」 その 男おとこ は 立ったっ て 、 網棚あみだな から 包みつつみ を おろし て 、 手ばやくてばやく くるくる と 解きとき まし た 。
「 さあ 、 ごらん なさい 。 いま とっ て 来き た ばかり です 。 」
「 ほんとう に 鷺さぎ だ ねえ 。 」 二に 人にん は 思わずおもわず 叫 《 さけ 》 びました 。 まっ白まっしろ な 、 あの さっき の 北きた の 十字架じゅうじか 《 じゅう じ か 》 の よう に 光るひかる 鷺さぎ の から だ が 、 十じゅう ばかり 、 少しすこし ひらべったく なっ て 、 黒いくろい 脚あし を ちぢめ て 、 浮彫うきぼり 《 うき ぼり 》 の よう に ならん で い た の です 。
「 眼め を つぶっ てる ね 。 」 カムパネルラ は 、 指ゆび で そっと 、 鷺さぎ の 三日月みかづき がた の 白いしろい 瞑つぶ 《 つぶ 》 っ た 眼め に さわり まし た 。 頭あたま の 上うえ の 槍やり 《 やり 》 の よう な 白いしろい 毛け も ちゃんと つい て い まし た 。
「 ね 、 そう でしょ う 。 」 鳥とり 捕りとり は 風呂敷ふろしき 《 ふろしき 》 を 重ねかさね て 、 また くるくる と 包んつつん で 紐ひも 《 ひも 》 で くくり まし た 。 誰だれ 《 たれ 》 が いったい ここら で 鷺さぎ なんぞ 喰 《 た 》 べ る だろ う と ジョバンニ は 思いおもい ながら 訊ききき まし た 。
「 鷺さぎ は おいしい ん です か 。 」
「 ええ 、 毎日まいにち 注文ちゅうもん が あり ます 。 しかし 雁かり 《 がん 》 の 方ほう が 、 もっと 売れうれ ます 。 雁かり の 方ほう が ずっと 柄え 《 がら 》 が いい し 、 第だい 一いち 手数てすう が あり ませ ん から な 。 そら 。 」 鳥とり 捕りとり は 、 また 別べつ の 方ほう の 包みつつみ を 解きとき まし た 。 すると 黄き と 青じろあおじろ と まだ ら に なっ て 、 なに か の あかり の よう に ひかる 雁かり が 、 ちょうど さっき の 鷺さぎ の よう に 、 くちばし を 揃そろい 《 そろ 》 え て 、 少しすこし 扁 《 ひ ら 》 べ っ たく なっ て 、 ならん で い まし た 。
「 こっち は すぐ 喰 べ られ ます 。 どう です 、 少しすこし お あがり なさい 。 」 鳥とり 捕りとり は 、 黄いろきいろ な 雁かり の 足あし を 、 軽くかるく ひっぱり まし た 。 すると それ は 、 チョコレートちょこれえと で でも でき て いる よう に 、 すっと きれい に はなれ まし た 。
「 どう です 。 すこし たべ て ごらん なさい 。 」 鳥とり 捕りとり は 、 それ を 二つふたつ に ちぎっ て わたし まし た 。 ジョバンニ は 、 ちょっと 喰 べ て み て 、 ( なん だ 、 やっぱり こいつ は お菓子おかし 《 かし 》 だ 。 チョコレートちょこれえと より も 、 もっと おいしい けれども 、 こんな 雁かり が 飛んとん で いる もん か 。 この 男おとこ は 、 どこ か そこら の 野原のはら の 菓子かし 屋や 《 かし や 》 だ 。 けれども ぼく は 、 この ひと を ばか に し ながら 、 この 人ひと の お菓子おかし を たべ て いる の は 、 大だい へん 気の毒きのどく だ 。 ) と おもい ながら 、 やっ ぱりぽくぽくそれをたべていました 。
「 も 少しすこし お あがり なさい 。 」 鳥とり 捕りとり が また 包みつつみ を 出しだし まし た 。 ジョバンニ は 、 もっと たべ たかっ た の です けれども 、
「 ええ 、 ありがとう 。 」 と 云うん 《 い 》 って 遠慮えんりょ 《 えん り ょ 》 し まし たら 、 鳥とり 捕りとり は 、 こんど は 向うむこう の 席せき の 、 鍵かぎ 《 かぎ 》 を もっ た 人ひと に 出しだし まし た 。
「 いや 、 商売しょうばい もの を 貰もらい 《 もら 》 っ ちゃ すみません な 。 」 その 人ひと は 、 帽子ぼうし 《 ぼうし 》 を とり まし た 。
「 いいえ 、 どういたしまして 。 どう です 、 今年ことし の 渡わたり 《 わた 》 り 鳥とり 《 どり 》 の 景気けいき は 。 」
「 いや 、 すてき な もん です よ 。 一昨日おととい 《 おととい 》 の 第だい 二に 限げん ころ なんか 、 なぜ 燈台とうだい の 灯あかり 《 ひ 》 を 、 規則きそく 以外いがい に 間ま 〔 一いち 字じ 分ぶん 空白くうはく 〕 さ せる か って 、 あっち から も こっち から も 、 電話でんわ で 故障こしょう が 来き まし た が 、 なあに 、 こっち が やる ん じゃ なく て 、 渡り鳥わたりどり ども が 、 まっ黒まっくろ に かたまっ て 、 あかし の 前まえ を 通るとおる の です から 仕方しかた あり ませ ん や 。 わたし ぁ 、 べらぼう め 、 そんな 苦情くじょう は 、 おれ の とこ へ 持っもっ て 来き たって 仕方しかた が ねえや 、 ばさばさ の マントまんと を 着き て 脚あし と 口くち と の 途方とほう 《 と ほう 》 も なく 細いほそい 大将たいしょう へ やれ って 、 斯 《 こ 》 う 云っゆっ て やり まし た が ね 、 はっ は 。 」
すすき が なくなっ た ため に 、 向うむこう の 野原のはら から 、 ぱっと あかり が 射い 《 さ 》 し て 来き まし た 。
「 鷺さぎ の 方ほう は なぜ 手数てすう な ん です か 。 」 カムパネルラ は 、 さっき から 、 訊こきこ う と 思っおもっ て い た の です 。
「 それ はね 、 鷺さぎ を 喰 べ る に は 、 」 鳥とり 捕りとり は 、 こっち に 向き直りむきなおり まし た 。
「 天の川あまのがわ の 水みず あかり に 、 十じゅう 日にち も つるし て 置くおく かね 、 そう で なけ ぁ 、 砂すな に 三さん 四よん 日にち うずめ なけ ぁいけないんだ 。 そうすると 、 水銀すいぎん が みんな 蒸発じょうはつ し て 、 喰 べ られる よう に なる よ 。 」
「 こいつ は 鳥とり じゃ ない 。 ただ の お菓子おかし でしょ う 。 」 やっぱり おなじ こと を 考えかんがえ て い た と みえ て 、 カムパネルラ が 、 思い切っおもいきっ た という よう に 、 尋ひろ 《 た ず 》 ね まし た 。 鳥とり 捕りとり は 、 何なに か 大だい へん あわて た 風かぜ で 、
「 そう そう 、 ここ で 降りおり なけ ぁ 。 」 と 云いいい ながら 、 立ったっ て 荷物にもつ を とっ た と 思うおもう と 、 もう 見えみえ なく なっ て い まし た 。
「 どこ へ 行っいっ た ん だろ う 。 」
二に 人にん は 顔かお を 見合せみあわせ まし たら 、 燈台とうだい 守もり は 、 にやにや 笑っわらっ て 、 少しすこし 伸しん 《 の 》 びあがるようにしながら 、 二に 人にん の 横よこ の 窓まど の 外そと を のぞき まし た 。 二に 人にん も そっち を 見み まし たら 、 たった いま の 鳥とり 捕りとり が 、 黄いろきいろ と 青じろあおじろ の 、 うつくしい 燐光りんこう 《 りん こう 》 を 出すだす 、 いち めん の かわら は は こぐ さ の 上うえ に 立ったっ て 、 まじめ な 顔かお を し て 両手りょうて を ひろげ て 、 じっと そら を 見み て い た の です 。
「 あすこ へ 行っいっ てる 。 ずいぶん 奇き 体たい 《 き たい 》 だ ねえ 。 きっと また 鳥とり を つかまえる とこ だ ねえ 。 汽車きしゃ が 走っはしっ て 行かいか ない うち に 、 早くはやく 鳥とり が おりる と いい な 。 」 と 云っゆっ た 途端とたん 《 とたん 》 、 がらん と し た 桔梗ききょう 《 き きょう 》 いろ の 空そら から 、 さっき 見み た よう な 鷺さぎ が 、 まるで 雪ゆき の 降るふる よう に 、 ぎゃあぎゃあ 叫びさけび ながら 、 いっぱい に 舞まい 《 ま 》 い おり て 来き まし た 。 すると あの 鳥とり 捕りとり は 、 すっかり 注文ちゅうもん 通りどおり だ という よう に ほくほく し て 、 両足りょうあし を かっきり 六ろく 十じゅう 度ど に 開いひらい て 立ったっ て 、 鷺さぎ の ちぢめ て 降りおり て 来るくる 黒いくろい 脚あし を 両手りょうて で 片へん 《 かた 》 っ 端はじ 《 ぱし 》 から 押えおさえ て 、 布ぬの の 袋ふくろ 《 ふく ろ 》 の 中なか に 入れるいれる の でし た 。 すると 鷺さぎ は 、 蛍ほたる 《 ほた る 》 の よう に 、 袋ふくろ の 中なか で しばらく 、 青くあおく ぺかぺか 光っひかっ たり 消えきえ たり し て い まし た が 、 おしまい とうとう 、 みんな ぼんやり 白くしろく なっ て 、 眼め を つぶる の でし た 。 ところが 、 つかまえ られる 鳥とり より は 、 つかまえ られ ない で 無事ぶじ に 天てん 《 あま 》 の 川かわ 《 が わ 》 の 砂すな の 上うえ に 降りるおりる もの の 方ほう が 多かっおおかっ た の です 。 それ は 見み て いる と 、 足あし が 砂すな へ つく や 否いな 《 い な 》 や 、 まるで 雪ゆき の 融とおる 《 と 》 ける よう に 、 縮ちぢみ 《 ち ぢ 》 まっ て 扁 《 ひ ら 》 べ っ たく なっ て 、 間もなくまもなく 熔鉱炉ようこうろ 《 ようこ うろ 》 から 出で た 銅どう の 汁しる 《 しる 》 の よう に 、 砂すな や 砂利じゃり 《 じゃり 》 の 上うえ に ひろがり 、 しばらく は 鳥とり の 形かたち が 、 砂すな に つい て いる の でし た が 、 それ も 二に 三さん 度ど 明るくあかるく なっ たり 暗くくらく なっ たり し て いる うち に 、 もう すっかり まわり と 同じおなじ いろ に なっ て しまう の でし た 。
鳥とり 捕りとり は 二に 十じゅう | 疋 《 ぴき 》 ばかり 、 袋ふくろ に 入れいれ て しまう と 、 急きゅう に 両手りょうて を あげ て 、 兵隊へいたい が 鉄砲てっぽう 弾だん 《 て っぽう だま 》 にあたって 、 死ぬしぬ とき の よう な 形かたち を し まし た 。 と 思っおもっ たら 、 もう そこ に 鳥とり 捕りとり の 形かたち は なくなっ て 、 却 《 かえ 》 って 、
「 ああ せいせい し た 。 どうも から だ に 恰 度ど 《 ちょうど 》 合うあう ほど 稼 《 かせ 》 いで いる くらい 、 いい こと は あり ませ ん な 。 」 という きき おぼえ の ある 声こえ が 、 ジョバンニ の 隣となり 《 と な 》 り に し まし た 。 見るみる と 鳥とり 捕りとり は 、 もう そこ で とっ て 来き た 鷺さぎ を 、 きちんと そろえ て 、 一つひとつ ずつ 重ねかさね 直しなおし て いる の でし た 。
「 どうして あすこ から 、 いっぺんに ここ へ 来き た ん です か 。 」 ジョバンニ が 、 なんだか あたりまえ の よう な 、 あたりまえ で ない よう な 、 おかしな 気き が し て 問いとい まし た 。
「 どうして って 、 来よこよ う と し た から 来き た ん です 。 ぜんたい あなた 方かた は 、 どちら から おいで です か 。 」
ジョバンニ は 、 すぐ 返事へんじ しよ う と 思いおもい まし た けれども 、 さあ 、 ぜんたい どこ から 来き た の か 、 もう どうしても 考えつきかんがえつき ませ ん でし た 。 カムパネルラ も 、 顔かお を まっ 赤あか に し て 何なに か 思い出そおもいだそ う と し て いる の でし た 。
「 ああ 、 遠くとおく から です ね 。 」 鳥とり 捕りとり は 、 わかっ た という よう に 雑作ぞうさ なく うなずき まし た 。
✦ Peek九きゅう 、 ジョバンニ の 切符きっぷ 《 きっぷ 》
✦ Peek「 もう ここら は 白鳥しらとり 区く の おしまい です 。 ごらん なさい 。 あれ が 名高いなだかい アルビレオ の 観測かんそく 所しょ です 。 」
窓まど の 外そと の 、 まるで 花火はなび で いっぱい の よう な 、 あま の 川かわ の まん中まんなか に 、 黒いくろい 大きなおおきな 建物たてもの が 四よん | 棟むね 《 むね 》 ばかり 立ったっ て 、 その 一つひとつ の 平ひら 屋根やね の 上うえ に 、 眼め 《 め 》 も さめる よう な 、 青あお 宝玉ほうぎょく 《 サファイアさふぁいあ 》 と 黄玉おうぎょく 《 トパース 》 の 大きなおおきな 二つふたつ の すきとおっ た 球たま が 、 輪わ に なっ て しずか に くるくる と まわっ て い まし た 。 黄いろきいろ の が だんだん 向うむこう へ まわっ て 行っいっ て 、 青いあおい 小さいちいさい の が こっち へ 進んすすん で 来き 、 間もなくまもなく 二つふたつ の はじ は 、 重なり合っかさなりあっ て 、 きれい な 緑みどり いろ の 両面りょうめん | 凸とつ 《 とつ 》 レンズれんず の かたち を つくり 、 それ も だんだん 、 まん中まんなか が ふくらみ 出しだし て 、 とうとう 青いあおい の は 、 すっかり トパース の 正面しょうめん に 来き まし た ので 、 緑みどり の 中心ちゅうしん と 黄いろきいろ な 明るいあかるい 環たまき 《 わ 》 と が でき まし た 。 それ が また だんだん 横よこ へ 外そと 《 そ 》 れ て 、 前まえ の レンズれんず の 形かたち を 逆ぎゃく に 繰く 《 く 》 り 返しかえし 、 とうとう すっと はなれ て 、 サファイアさふぁいあ は 向うむこう へ めぐり 、 黄いろきいろ の は こっち へ 進みすすみ 、 また 丁度ちょうど さっき の よう な 風かぜ に なり まし た 。 銀河ぎんが の 、 かたち も なく 音おと も ない 水みず に かこま れ て 、 ほんとう に その 黒いくろい 測候所そっこうじょ が 、 睡ねむ 《 ねむ 》 って いる よう に 、 しずか に よこたわっ た の です 。
「 あれ は 、 水みず の 速はや さ を はかる 器械きかい です 。 水みず も … … 。 」 鳥とり 捕と 《 とり と 》 り が 云いいい かけ た とき 、
「 切符きっぷ を 拝見はいけん いたし ます 。 」 三さん 人にん の 席せき の 横よこ に 、 赤いあかい 帽子ぼうし 《 ぼうし 》 を かぶっ た せい の 高いたかい 車掌しゃしょう 《 しゃしょ う 》 が 、 いつか まっすぐ に 立ったっ て い て 云いいい まし た 。 鳥とり 捕りとり は 、 だまっ て かくし から 、 小さなちいさな 紙きれかみきれ を 出しだし まし た 。 車掌しゃしょう は ちょっと 見み て 、 すぐ 眼め を そらし て 、 ( あなた 方かた の は ? ) という よう に 、 指ゆび を うごかし ながら 、 手て を ジョバンニ たち の 方ほう へ 出しだし まし た 。
「 さあ 、 」 ジョバンニ は 困っこまっ て 、 もじもじ し て い まし たら 、 カムパネルラ は 、 わけ も ない という 風かぜ で 、 小さなちいさな 鼠ねずみ 《 ねずみ 》 いろ の 切符きっぷ を 出しだし まし た 。 ジョバンニ は 、 すっかり あわて て しまっ て 、 もしか 上着うわぎ の ポケットぽけっと に でも 、 入っはいっ て い た か と おもい ながら 、 手て を 入れいれ て 見み まし たら 、 何なに か 大きなおおきな 畳たたみ 《 たた 》 ん だ 紙きれかみきれ に あたり まし た 。 こんな もの 入っはいっ て い たろ う か と 思っおもっ て 、 急いいそい で 出しだし て み まし たら 、 それ は 四つよっつ に 折っおっ た はがき ぐらい の 大きおおき さ の 緑みどり いろ の 紙かみ でし た 。 車掌しゃしょう が 手て を 出しだし て いる もん です から 何なに でも 構わかまわ ない 、 やっ ちまえ と 思っおもっ て 渡しわたし まし たら 、 車掌しゃしょう は まっすぐ に 立ち直ったちなおっ て 叮 寧やすし 《 ていねい 》 に それ を 開いひらい て 見み て い まし た 。 そして 読みよみ ながら 上着うわぎ のぼ たん や なんか しきりに 直しなおし たり し て い まし た し 燈台とうだい 看守かんしゅ も 下した から それ を 熱心ねっしん に のぞい て い まし た から 、 ジョバンニ は たしかに あれ は 証明しょうめい 書しょ か 何なに か だっ た と 考えかんがえ て 少しすこし 胸むね が 熱くあつく なる よう な 気き が し まし た 。
「 これ は 三さん 次じ 空間くうかん の 方ほう から お 持ちもち に なっ た の です か 。 」 車掌しゃしょう が たずね まし た 。
「 何だかなんだか わかり ませ ん 。 」 もう 大丈夫だいじょうぶ 《 だいじょうぶ 》 だ と 安心あんしん し ながら ジョバンニ は そっち を 見み あげ て くつ くつ 笑いわらい まし た 。
「 よろしゅう ござい ます 。 南みなみ 十じゅう 字じ 《 サウザンクロス 》 へ 着きつき ます の は 、 次つぎ の 第だい 三さん 時じ ころ に なり ます 。 」 車掌しゃしょう は 紙かみ を ジョバンニ に 渡しわたし て 向うむこう へ 行きいき まし た 。
カムパネルラ は 、 その 紙切れかみきれ が 何なに だっ た か 待ち兼ねまちかね た という よう に 急いいそい で のぞきこみ まし た 。 ジョバンニ も 全くまったく 早くはやく 見み たかっ た の です 。 ところが それ はいち めん 黒いくろい 唐草からくさ 《 からく さ 》 の よう な 模様もよう の 中なか に 、 おかしな 十じゅう ばかり の 字じ を 印刷いんさつ し た もの で だまっ て 見み て いる と 何だかなんだか その 中なか へ 吸いすい 込こみ 《 こ 》 まれ て しまう よう な 気き が する の でし た 。 すると 鳥とり 捕りとり が 横よこ から ちらっと それ を 見み て あわて た よう に 云いいい まし た 。
「 おや 、 こいつ は 大したたいした もん です ぜ 。 こいつ は もう 、 ほんとう の 天上てんじょう へ さえ 行けるいける 切符きっぷ だ 。 天上てんじょう どこ じゃ ない 、 どこ でも 勝手かって に あるける 通行つうこう 券けん です 。 こいつ を お 持ちもち に なれ ぁ 、 なるほど 、 こんな 不完全ふかんぜん な 幻想げんそう 《 げん そう 》 第だい 四よん 次じ の 銀河ぎんが 鉄道てつどう なんか 、 どこ まで でも 行けるいける 筈はず 《 はず 》 で さあ 、 あなた 方かた 大したたいした もん です ね 。 」
「 何だかなんだか わかり ませ ん 。 」 ジョバンニ が 赤くあかく なっ て 答えこたえ ながら それ を 又また 《 また 》 畳んたたん で かくし に 入れいれ まし た 。 そして きまり が 悪いわるい ので カムパネルラ と 二に 人にん 、 また 窓まど の 外そと を ながめ て い まし た が 、 その 鳥とり 捕りとり の 時とき 々 大したたいした もん だ という よう に ちらちら こっち を 見み て いる の が ぼんやり わかり まし た 。
「 もう じき 鷲わし 《 わし 》 の 停車場ていしゃじょう だ よ 。 」 カムパネルラ が 向う岸むこうぎし の 、 三つみっつ なら ん だ 小さなちいさな 青じろいあおじろい 三角さんかく 標しるべ と 地図ちず と を 見み 較 《 み くら 》 べ て 云いいい まし た 。
ジョバンニ は なんだか わけ も わから ず に にわかに となり の 鳥とり 捕りとり が 気の毒きのどく で たまらなく なり まし た 。 鷺さぎ 《 さ ぎ 》 を つかまえ て せいせい し た と よろこん だり 、 白いしろい きれ で それ を くるくる 包んつつん だり 、 ひと の 切符きっぷ を びっくり し た よう に 横目よこめ で 見み て あわて て ほめ だし たり 、 そんな こと を 一一いちいち 考えかんがえ て いる と 、 もう その 見ず知らずみずしらず の 鳥とり 捕りとり の ため に 、 ジョバンニ の 持っもっ て いる もの でも 食べるたべる もの で も なん でも やっ て しまい たい 、 もうこ の 人ひと の ほんとう の 幸こう 《 さいわい 》 に なる なら 自分じぶん が あの 光るひかる 天の川あまのがわ の 河原かわはら 《 かわら 》 に 立ったっ て 百ひゃく 年ねん つづけ て 立ったっ て 鳥とり を とっ て やっ て も いい という よう な 気き が し て 、 どうしても もう 黙だま 《 だま 》 って い られ なく なり まし た 。 ほんとう に あなた の ほしい もの は 一体いったい 何なに です か 、 と 訊 《 き 》 こう と し て 、 それでは あんまり 出しだし 抜 《 ぬ 》 け だから 、 どう しよ う か と 考えかんがえ て 振ふ 《 ふ 》 り 返っかえっ て 見み まし たら 、 そこ に は もう あの 鳥とり 捕りとり が 居い ませ ん でし た 。 網棚あみだな 《 あみ だ な 》 の 上うえ に は 白いしろい 荷物にもつ も 見えみえ なかっ た の です 。 また 窓まど の 外そと で 足あし を ふんばっ て そら を 見上げみあげ て 鷺さぎ を 捕るとる 支度したく 《 し たく 》 を し て いる の か と 思っおもっ て 、 急いいそい で そっち を 見み まし た が 、 外そと はいち めん の うつくしい 砂子すなご と 白いしろい すすき の 波なみ ばかり 、 あの 鳥とり 捕りとり の 広ひろ いせ なか も 尖とが 《 と が 》 っ た 帽子ぼうし も 見えみえ ませ ん でし た 。
「 あの 人ひと どこ へ 行っいっ たろ う 。 」 カムパネルラ も ぼんやり そう 云っゆっ て い まし た 。
「 どこ へ 行っいっ たろ う 。 一体いったい どこ で また あう の だろ う 。 僕ぼく 《 ぼく 》 は どうしても 少しすこし あの 人ひと に 物もの を 言わいわ なかっ たろ う 。 」
「 ああ 、 僕ぼく も そう 思っおもっ て いる よ 。 」
「 僕ぼく は あの 人ひと が 邪魔じゃま 《 じゃま 》 な よう な 気き が し た ん だ 。 だから 僕ぼく は 大だい へん つらい 。 」 ジョバンニ は こんな 変へん てこ な 気もちきもち は 、 ほんとう に はじめて だ し 、 こんな こと 今いま まで 云っゆっ た こと も ない と 思いおもい まし た 。
「 何だかなんだか 苹果りんご 《 りんご 》 の 匂におい 《 におい 》 が する 。 僕ぼく いま 苹果りんご の こと 考えかんがえ た ため だろ う か 。 」 カムパネルラ が 不思議ふしぎ そう に あたり を 見み まわし まし た 。
「 ほんとう に 苹果りんご の 匂におい だ よ 。 それから 野茨のいばら 《 の いばら 》 の 匂におい も する 。 」 ジョバンニ も そこら を 見み まし た が やっぱり それ は 窓まど から でも 入っはいっ て 来るくる らしい の でし た 。 いま 秋あき だ から 野茨のいばら の 花はな の 匂におい の する 筈はず は ない と ジョバンニ は 思いおもい まし た 。
そしたら 俄にわか 《 に わ 》 か に そこ に 、 つやつや し た 黒いくろい 髪かみ 《 かみ 》 の 六つむっつ ばかり の 男の子おとこのこ が 赤いあかい ジャケツじゃけつ のぼ たん も かけ ず ひどく びっくり し た よう な 顔かお を し て がたがた ふるえ て はだし で 立ったっ て い まし た 。 隣となり 《 と な 》 り に は 黒いくろい 洋服ようふく を きちんと 着き た せい の 高いたかい 青年せいねん が 一ぱいいっぱい に 風かぜ に 吹 《 ふ 》 かれ て いる け やき の 木き の よう な 姿勢しせい で 、 男の子おとこのこ の 手て を しっかり ひい て 立ったっ て い まし た 。
「 あら 、 ここ どこ でしょ う 。 まあ 、 きれい だ わ 。 」 青年せいねん の うし ろ に も ひとり 十じゅう 二に ばかり の 眼め の 茶ちゃ いろ な 可愛かわい 《 か あい 》 らしい 女の子おんなのこ が 黒いくろい 外套がいとう 《 が いとう 》 を 着き て 青年せいねん の 腕うで 《 う で 》 に すがっ て 不思議ふしぎ そう に 窓まど の 外そと を 見み て いる の でし た 。
「 ああ 、 ここ は ランカシャイヤ だ 。 いや 、 コンネクテカット 州しゅう だ 。 いや 、 ああ 、 ぼく たち は そら へ 来き た の だ 。 わたし たち は 天てん へ 行くいく の です 。 ごらん なさい 。 あの しるし は 天上てんじょう の しるし です 。 もう なんにも こわい こと あり ませ ん 。 わたくし たち は 神さまかみさま に 召 《 め 》 さ れ て いる の です 。 」 黒くろ 服ふく の 青年せいねん は よろこび に かがやい て その 女の子おんなのこ に 云うん 《 い 》 い まし た 。 けれども なぜ かまた 額がく に 深くふかく 皺しわ 《 しわ 》 を 刻んきざん で 、 それに 大だい へん つかれ て いる らしく 、 無理むり に 笑いわらい ながら 男の子おとこのこ を ジョバンニ の となり に 座ざ 《 すわ 》 ら せ まし た 。
それから 女の子おんなのこ に やさしく カムパネルラ の となり の 席せき を 指さしゆびさし まし た 。 女の子おんなのこ は す なお に そこ へ 座っすわっ て 、 きちんと 両手りょうて を 組み合せくみあわせ まし た 。
「 ぼく おお ねえさん の とこ へ 行くいく ん だ よう 。 」 腰掛こしかけ 《 こ しか 》 けた ばかり の 男の子おとこのこ は 顔かお を 変へん に し て 燈台とうだい 看守かんしゅ の 向うむこう の 席せき に 座っすわっ た ばかり の 青年せいねん に 云いいい まし た 。 青年せいねん は 何ともなんとも 云えいえ ず 悲しかなし そう な 顔かお を し て 、 じっと その 子こ の 、 ちぢれ て ぬれ た 頭あたま を 見み まし た 。 女の子おんなのこ は 、 いきなり 両手りょうて を 顔かお に あて て しくしく 泣いない て しまい まし た 。
「 お父さんおとうさん や きくよ ねえさん は まだ いろいろ お 仕事しごと が ある の です 。 けれども もうすぐ あと から いらっしゃい ます 。 それ より も 、 おっかさん は どんなに 永くながく 待っまっ て いらっしゃっ た でしょ う 。 わたし の 大事だいじ な タダただ シし は いま どんな 歌うた を うたっ て いる だろ う 、 雪ゆき の 降るふる 朝あさ に みんな と 手て を つない で ぐるぐる にわとこ の やぶ を まわっ て あそん で いる だろ う か と 考えかんがえ たり ほんとう に 待っまっ て 心配しんぱい し て いらっしゃる ん です から 、 早くはやく 行っいっ て おっかさん に お目にかかりおめにかかり ましょ う ね 。 」
「 うん 、 だけど 僕ぼく 、 船ふね に 乗らのら な け ぁよかったなあ 。 」
「 ええ 、 けれど 、 ごらん なさい 、 そら 、 どう です 、 あの 立派りっぱ な 川かわ 、 ね 、 あすこ は あの 夏なつ 中ちゅう 、 ツインクル 、 ツインクル 、 リトルりとる 、 スターすたあ を うたっ て やすむ とき 、 いつも 窓まど から ぼんやり 白くしろく 見えみえ て い た でしょ う 。 あすこ です よ 。 ね 、 きれい でしょ う 、 あんなに 光っひかっ て い ます 。 」
泣いない て い た 姉あね も ハンケチはんけち で 眼め を ふい て 外そと を 見み まし た 。 青年せいねん は 教えるおしえる よう に そっと 姉あね 弟おとうと に また 云いいい まし た 。
「 わたし たち は もう なんにも かなしい こと ない の です 。 わたし たち は こんな いい とこ を 旅たび し て 、 じき 神さまかみさま の とこ へ 行きいき ます 。 そこ なら もう ほんとう に 明るくあかるく て 匂におい が よく て 立派りっぱ な 人ひと たち で いっぱい です 。 そして わたし たち の 代りかわり に ボートぼうと へ 乗れのれ た 人ひと たち は 、 きっと みんな 助けたすけ られ て 、 心配しんぱい し て 待っまっ て いる めいめい の お父さんおとうさん や お母さんおかあさん や 自分じぶん の お家おいえ へ やら 行くいく の です 。 さあ 、 もう じき です から 元気げんき を 出しだし て おもしろく うたっ て 行きいき ましょ う 。 」 青年せいねん は 男の子おとこのこ の ぬれ た よう な 黒いくろい 髪かみ を なで 、 みんな を 慰 《 なぐ さ 》 め ながら 、 自分じぶん も だんだん 顔かお いろ が かがやい て 来き まし た 。
「 あなた 方かた は どちら から いらっしゃっ た の です か 。 どう なすっ た の です か 。 」 さっき の 燈台とうだい 看守かんしゅ が やっと 少しすこし わかっ た よう に 青年せいねん に たずね まし た 。 青年せいねん は かすか に わらい まし た 。
「 いえ 、 氷山ひょうざん に ぶっつかっ て 船ふね が 沈 《 しず 》 み まし て ね 、 わたし たち は こちら の お父さんおとうさん が 急きゅう な 用よう で 二に ヶ月かげつ 前まえ 一足ひとあし さき に 本国ほんごく へ お 帰りかえり に なっ た ので あと から 発はつ 《 た 》 っ た の です 。 私わたし は 大学だいがく へ はいっ て い て 、 家庭かてい 教師きょうし に やとわ れ て い た の です 。 ところが ちょうど 十じゅう 二に 日にち 目め 、 今日きょう か 昨日きのう 《 きのう 》 の あたり です 、 船ふね が 氷山ひょうざん に ぶっつかっ て 一いち ぺん に 傾 《 かた む 》 き もう 沈みしずみ かけ まし た 。 月つき の あかり は どこ か ぼんやり あり まし た が 、 霧きり 《 きり 》 が 非常ひじょう に 深かっふかかっ た の です 。 ところが ボートぼうと は 左舷さげん 《 さげ ん 》 の 方ほう 半分はんぶん は もう だめ に なっ て い まし た から 、 とても みんな は 乗り切らのりきら ない の です 。 もう その うち に も 船ふね は 沈みしずみ ます し 、 私わたし は 必死ひっし と なっ て 、 どうか 小さなちいさな 人ひと たち を 乗せのせ て 下さいください と 叫 《 さけ 》 びました 。 近くちかく の 人ひと たち は すぐ みち を 開いひらい て そして 子供こども たち の ため に 祈いの 《 い の 》 って 呉ご 《 く 》 れ まし た 。 けれども そこ から ボートぼうと まで の ところ に は まだまだ 小さなちいさな 子どもこども たち や 親おや たち や なんか 居い て 、 とても 押 《 お 》 し のける 勇気ゆうき が なかっ た の です 。 それでも わたくし は どうしても この方このかた たち を お 助けたすけ する の が 私わたし の 義務ぎむ だ と 思いおもい まし た から 前まえ に いる 子供こども ら を 押しのけよおしのけよ う と し まし た 。 けれども また そんなに し て 助けたすけ て あげる より は この まま 神かみ の お前おまえ に みんな で 行くいく 方ほう が ほんとう に この方このかた たち の 幸福こうふく だ と も 思いおもい まし た 。 それから また その 神かみ に そむく 罪つみ は わたくし ひとり で しょっ て ぜひとも 助けたすけ て あげよ う と 思いおもい まし た 。 けれども どうして 見み て いる と それ が でき ない の でし た 。 子どもこども ら ばかり ボートぼうと の 中なか へ はなし て やっ て お母さんおかあさん が 狂気きょうき 《 きょう き 》 の よう に キスきす を 送りおくり お父さんおとうさん が かなしい の を じっと こらえ て まっすぐ に 立ったっ て いる など とても もう 腸ちょう 《 はらわ た 》 も ちぎれる よう でし た 。 そのうち 船ふね は もう ずんずん 沈みしずみ ます から 、 私わたし は もう すっかり 覚悟かくご 《 かく ご 》 し て この 人ひと たち 二に 人にん を 抱 《 だ 》 い て 、 浮 《 う か 》 べ る だけ は 浮ぼうかぼ う と かたまっ て 船ふね の 沈むしずむ の を 待っまっ て い まし た 。 誰だれ 《 たれ 》 が 投げなげ た か ライフらいふ ブイぶい が 一つひとつ 飛んとん で 来き まし た けれども 滑なめら 《 すべ 》 って ず うっ と 向うむこう へ 行っいっ て しまい まし た 。 私わたし は 一生けん命いっしょうけんめい で 甲板かんぱん 《 かんぱん 》 の 格子こうし 《 こう し 》 に なっ た とこ を はなし て 、 三さん 人にん それ に しっかり とりつき まし た 。 どこ から とも なく 〔 約やく 二に 字じ 分ぶん 空白くうはく 〕 番ばん の 声こえ が あがり まし た 。 たちまち みんな は いろいろ な 国語こくご で 一いち ぺん に それ を うたい まし た 。 その とき 俄にわか 《 に わ 》 か に 大きなおおきな 音おと が し て 私わたし たち は 水みず に 落ちおち もう 渦うず 《 うず 》 に 入っはいっ た と 思いおもい ながら しっかり この 人ひと たち を だい て それ から ぼうっと し た と 思っおもっ たら もう ここ へ 来き て い た の です 。 この方このかた たち の お母さんおかあさん は 一昨年いっさくねん | 没ぼつ 《 な 》 く なら れ まし た 。 え え ボートぼうと は きっと 助かったすかっ た に ちがい あり ませ ん 、 何せなにせ よほど 熟練じゅくれん な 水夫すいふ たち が 漕 《 こ 》 いで すばやく 船ふね から は なれ て い まし た から 。 」
そこら から 小さちいさ ない のり の 声こえ が 聞えきこえ ジョバンニ も カムパネルラ も いま まで 忘れわすれ て い た いろいろ の こと を ぼんやり 思い出しおもいだし て 眼め 《 め 》 が 熱くあつく なり まし た 。
( ああ 、 その 大きなおおきな 海うみ は パシフィックぱしふぃっく という の で は なかっ たろ う か 。 その 氷山ひょうざん の 流れるながれる 北きた の はて の 海うみ で 、 小さなちいさな 船ふね に 乗っのっ て 、 風かぜ や 凍こお 《 こお 》 り つく 潮水しおみず や 、 烈れつ 《 はげ 》 しい 寒さむ さ と たたかっ て 、 たれ か が 一生いっしょう けんめい はたらい て いる 。 ぼく は その ひと に ほんとう に 気の毒きのどく で そして すま ない よう な 気き が する 。 ぼく は その ひと の さいわい の ため に いったい どう し たら いい の だろ う 。 ) ジョバンニ は 首くび を 垂れたれ て 、 すっかり ふさぎ 込こみ 《 こ 》 んで しまい まし た 。
「 なに が しあわせ か わから ない です 。 ほんとう に どんな つらい こと で も それ が ただしい みち を 進むすすむ 中なか で の でき ごと なら 峠とうげ 《 とう げ 》 の 上りのぼり も 下りくだり も みんな ほんとう の 幸福こうふく に 近づくちかづく 一いち あし ずつ です から 。 」
燈台とうだい 守もり が なぐさめ て い まし た 。
「 ああ そう です 。 ただ いちばん の さいわい に 至るいたる ため に いろいろ の かなしみ も みんな おぼしめし です 。 」
青年せいねん が 祈るいのる よう に そう 答えこたえ まし た 。
そして あの 姉あね 弟おとうと 《 きょう だい 》 は もう つかれ て めいめい ぐったり 席せき に よりかかっ て 睡ねむ 《 ねむ 》 って い まし た 。 さっき の あの はだし だっ た 足あし に は いつか 白いしろい 柔やわら 《 やわ 》 ら か な 靴くつ 《 くつ 》 を はい て い た の です 。
ごと ごと ごと ごと 汽車きしゃ は きらびやか な 燐光りんこう 《 りん こう 》 の 川かわ の 岸きし を 進みすすみ まし た 。 向うむこう の 方ほう の 窓まど を 見るみる と 、 野原のはら は まるで 幻まぼろし 燈 《 げん とう 》 の よう でし た 。 百ひゃく も 千せん も の 大小だいしょう さまざま の 三角さんかく 標しるべ 、 その 大きなおおきな もの の 上うえ に は 赤いあかい 点点てんてん を うっ た 測量そくりょう 旗き も 見えみえ 、 野原のはら の はて は それら が いち めん 、 たくさん たくさん 集っつどっ て ぼ おっ と 青白いあおじろい 霧きり の よう 、 そこ から かまた は もっと 向うむかう から か ときどき さまざま の 形かたち の ぼんやり し た 狼煙のろし 《 のろし 》 の よう な もの が 、 かわるがわる きれい な 桔梗ききょう 《 き きょう 》 いろ の そら に うちあげ られる の でし た 。 じつに その すきとおっ た 奇麗きれい 《 きれい 》 な 風かぜ は 、 ばら の 匂におい 《 におい 》 で いっぱい でし た 。
「 いかが です か 。 こういう 苹果りんご 《 りんご 》 は お はじめて でしょ う 。 」 向うむこう の 席せき の 燈台とうだい 看守かんしゅ が いつか 黄金おうごん 《 きん 》 と 紅べに で うつくしく いろどら れ た 大きなおおきな 苹果りんご を 落さおとさ ない よう に 両手りょうて で 膝ひざ 《 ひざ 》 の 上うえ に かかえ て い まし た 。
「 おや 、 どっか ら 来き た の です か 。 立派りっぱ です ねえ 。 ここら で は こんな 苹果りんご が できる の です か 。 」 青年せいねん は ほんとう に びっくり し た らしく 燈台とうだい 看守かんしゅ の 両手りょうて に かかえ られ た 一いち もり の 苹果りんご を 眼め を 細くほそく し たり 首くび を まげ たり し ながら われ を 忘れわすれ て ながめ て い まし た 。
「 いや 、 まあ おとり 下さいください 。 どう か 、 まあ おとり 下さいください 。 」
青年せいねん は 一つひとつ とっ て ジョバンニ たち の 方ほう を ちょっと 見み まし た 。
「 さあ 、 向うむこう の 坊ぼう 《 ぼっ 》 ちゃん が た 。 いかが です か 。 おとり 下さいください 。 」
ジョバンニ は 坊ちゃんぼっちゃん と いわ れ た ので すこし しゃくにさわっ て だまっ て い まし た が カムパネルラ は
「 ありがとう 、 」 と 云いいい まし た 。 すると 青年せいねん は 自分じぶん で とっ て 一つひとつ ずつ 二に 人にん に 送っおくっ て よこし まし た ので ジョバンニ も 立ったっ て ありがとう と 云いいい まし た 。
燈台とうだい 看守かんしゅ は やっと 両りょう 腕うで 《 りょう う で 》 が あい た ので こんど は 自分じぶん で 一つひとつ ずつ 睡っねむっ て いる 姉あね 弟おとうと の 膝ひざ に そっと 置きおき まし た 。
「 どうも ありがとう 。 どこ で できる の です か 。 こんな 立派りっぱ な 苹果りんご は 。 」
青年せいねん は つくづく 見み ながら 云いいい まし た 。
「 この 辺あたり で は もちろん 農業のうぎょう は いたし ます けれども 大だい てい ひとりでに いい もの が できる よう な 約束やくそく 《 やく そく 》 に なっ て 居い 《 お 》 り ます 。 農業のうぎょう だって そんなに 骨ほね は 折れおれ は し ませ ん 。 たいてい 自分じぶん の 望むのぞむ 種子しゅし 《 たね 》 さえ 播 《 ま 》 け ば ひとりでに どんどん でき ます 。 米べい だって パシフィックぱしふぃっく 辺あたり の よう に 殻から 《 から 》 も ない し 十じゅう 倍ばい も 大きくおおきく て 匂におい も いい の です 。 けれども あなた がた の いらっしゃる 方ほう なら 農業のうぎょう は もう あり ませ ん 。 苹果りんご だって お 菓子かし だって かす が 少しすこし も あり ませ ん から みんな その ひと その ひと によって ちがっ た わずか の いい かおり に なっ て 毛もう あな から ちら け て しまう の です 。 」
にわかに 男の子おとこのこ が ぱっちり 眼め を あい て 云いいい まし た 。
「 ああ ぼく いま お母さんおかあさん の 夢ゆめ 《 ゆめ 》 を み て い た よ 。 お母さんおかあさん が ね 立派りっぱ な 戸棚とだな 《 と だ な 》 や 本ほん の ある とこ に 居い て ね 、 ぼく の 方ほう を 見み て 手て を だし て にこにこ にこにこ わらっ た よ 。 ぼく おっかさん 。 りんご を ひろっ て き て あげ ましょ う か 云っゆっ たら 眼め が さめ ちゃっ た 。 ああ ここ さっき の 汽車きしゃ の なか だ ねえ 。 」
「 その 苹果りんご 《 りんご 》 が そこ に あり ます 。 この おじさん に いただい た の です よ 。 」 青年せいねん が 云いいい まし た 。
「 ありがとう おじさん 。 おや 、 かおる ね え さんま だ ね てる ねえ 、 ぼく おこし て やろ う 。 ねえさん 。 ごらん 、 りんご を もらっ た よ 。 おき て ごらん 。 」
姉あね は わらっ て 眼め を さまし まぶし そう に 両手りょうて を 眼め に あて て それ から 苹果りんご を 見み まし た 。 男の子おとこのこ は まるで パイぱい を 喰 《 た 》 べ る よう に もう それ を 喰 べ て い まし た 、 また 折角せっかく 《 せっかく 》 剥 《 む 》 い た その きれい な 皮かわ も 、 くるくる コルクこるく 抜 《 ぬ 》 き の よう な 形かたち に なっ て 床ゆか 《 ゆか 》 へ 落ちるおちる まで の 間ま に は すうっ と 、 灰はい いろ に 光っひかっ て 蒸発じょうはつ し て しまう の でし た 。
二に 人にん は りんご を 大切たいせつ に ポケットぽけっと に しまい まし た 。
川下かわしも の 向う岸むこうぎし に 青くあおく 茂しげる 《 しげ 》 っ た 大きなおおきな 林はやし が 見えみえ 、 その 枝えだ 《 え だ 》 に は 熟しじゅくし て まっ 赤あか に 光るひかる 円いまるい 実み が いっぱい 、 その 林はやし の まん中まんなか に 高いたかい 高いたかい 三角さんかく 標しるべ が 立ったっ て 、 森もり の 中なか から は オーケストラおうけすとら ベルべる や ジロフォン に まじっ て 何なに と も 云えいえ ず きれい な 音おと いろ が 、 とける よう に 浸ひた 《 し 》 みる よう に 風かぜ に つれ て 流れながれ て 来るくる の でし た 。
青年せいねん は ぞ くっ として からだ を ふるう よう に し まし た 。
だまっ て その 譜ふ 《 ふ 》 を 聞いきい て いる と 、 そこら に いち めん 黄いろきいろ や うすい 緑みどり の 明るいあかるい 野原のはら か 敷物しきもの か が ひろがり 、 また まっ白まっしろ な 蝋ろう 《 ろう 》 の よう な 露つゆ 《 つゆ 》 が 太陽たいよう の 面めん を 擦こす 《 かす 》 め て 行くいく よう に 思わおもわ れ まし た 。
「 まあ 、 あの 烏からす 《 からす 》 。 」 カムパネルラ の となり の かおる と 呼ばよば れ た 女の子おんなのこ が 叫びさけび まし た 。
「 からす で ない 。 みんな か さ さ ぎだ 。 」 カムパネルラ が また 何気なくなにげなく 叱しか 《 しか 》 る よう に 叫びさけび まし た ので 、 ジョバンニ は また 思わずおもわず 笑いわらい 、 女の子おんなのこ は きまり 悪わる そう に し まし た 。 まったく 河原かわはら 《 かわら 》 の 青じろいあおじろい あかり の 上うえ に 、 黒いくろい 鳥とり が たくさん たくさん いっぱい に 列れつ に なっ て とまっ て じっと 川かわ の 微光びこう 《 びこう 》 を 受けうけ て いる の でし た 。
「 かさ さ ぎですねえ 、 頭あたま の うし ろ の とこ に 毛け が ぴんと 延びのび て ます から 。 」 青年せいねん は とりなす よう に 云いいい まし た 。
向うむこう の 青いあおい 森もり の 中なか の 三角さんかく 標しるべ は すっかり 汽車きしゃ の 正面しょうめん に 来き まし た 。 その とき 汽車きしゃ の ず うっとうし ろ の 方ほう から あの 聞ききき なれ た 〔 約やく 二に 字じ 分ぶん 空白くうはく 〕 番ばん の 讃さん 美歌みか 《 さん びか 》 の ふし が 聞えきこえ て き まし た 。 よほど の 人数にんずう で 合唱がっしょう し て いる らしい の でし た 。 青年せいねん は さっと 顔かお いろ が 青ざめあおざめ 、 たって 一いち ぺん そっち へ 行きいき そう に し まし た が 思いかえしおもいかえし て また 座ざ 《 すわ 》 り まし た 。 かおる 子こ は ハンケチはんけち を 顔かお に あて て しまい まし た 。 ジョバンニ まで 何だかなんだか 鼻はな が 変へん に なり まし た 。 けれども い つ と も なく 誰だれ 《 たれ 》 と も なく その 歌うた は 歌いうたい 出さださ れ だんだん はっきり 強くつよく なり まし た 。 思わずおもわず ジョバンニ も カムパネルラ も 一緒いっしょ 《 いっしょ 》 に うたい 出しだし た の です 。
そして 青いあおい 橄欖かんらん 《 かん らん 》 の 森もり が 見えみえ ない 天の川あまのがわ の 向うむこう に さめざめ と 光りひかり ながら だんだん うし ろ の 方ほう へ 行っいっ て しまい そこ から 流れながれ て 来るくる あやしい 楽器がっき の 音おと も もう 汽車きしゃ の ひびき や 風の音かぜのおと に すり 耗 《 へ 》 ら さ れ て ず うっ とか すか に なり まし た 。
「 あ 孔雀くじゃく 《 くじゃく 》 が 居るいる よ 。 」
「 え え たくさん 居い た わ 。 」 女の子おんなのこ が こたえ まし た 。
ジョバンニ は その 小さくちいさく 小さくちいさく なっ て いま は もう 一つひとつ の 緑みどり いろ の 貝かい ぼ たん の よう に 見えるみえる 森もり の 上うえ に さっ さっと 青じろくあおじろく 時々ときどき 光っひかっ て その 孔雀くじゃく が はね を ひろげ たり とじ たり する 光ひかり の 反射はんしゃ を 見み まし た 。
「 そう だ 、 孔雀くじゃく の 声こえ だって さっき 聞えきこえ た 。 」 カムパネルラ が かおる 子こ に 云うん 《 い 》 い まし た 。
「 ええ 、 三さん 十じゅう | 疋 《 ぴき 》 ぐらい は たしかに 居い た わ 。 ハープはあぷ の よう に 聞えきこえ た の は みんな 孔雀くじゃく よ 。 」 女の子おんなのこ が 答えこたえ まし た 。 ジョバンニ は 俄にわか 《 に わ 》 か に 何ともなんとも 云えいえ ず かなしい 気き が し て 思わずおもわず
「 カムパネルラ 、 ここ から はね おり て 遊んあそん で 行こいこ う よ 。 」 と こわい 顔かお を し て 云おいお う と し た くらい でし た 。
川かわ は 二つふたつ に わか れ まし た 。 その まっ くら な 島しま の まん中まんなか に 高いたかい 高いたかい や ぐらが 一つひとつ 組まくま れ て その 上うえ に 一いち 人にん の 寛ひろし 《 ゆる 》 い服いふく を 着き て 赤いあかい 帽子ぼうし 《 ぼうし 》 を かぶっ た 男おとこ が 立ったっ て い まし た 。 そして 両手りょうて に 赤あか と 青あお の 旗はた を もっ て そら を 見上げみあげ て 信号しんごう し て いる の でし た 。 ジョバンニ が 見み て いる 間ま その 人ひと は しきりに 赤いあかい 旗はた を ふっ て い まし た が 俄にわか か に 赤旗あかはた を おろし て うし ろ に かくす よう に し 青いあおい 旗はた を 高くたかく 高くたかく あげ て まるで オーケストラおうけすとら の 指揮しき 者しゃ の よう に 烈れつ 《 はげ 》 しく 振ふ 《 ふ 》 り まし た 。 すると 空中くうちゅう に ざあっと 雨う の よう な 音おと が し て 何なに か まっ くら な もの が いく かた まり も いく かた まり も 鉄てつ 砲丸ほうがん 《 て っぽう だま 》 の よう に 川かわ の 向うむこう の 方ほう へ 飛んとん で 行くいく の でし た 。 ジョバンニ は 思わずおもわず 窓まど から からだ を 半分はんぶん 出しだし て そっち を 見み あげ まし た 。 美しいうつくしい 美しいうつくしい 桔梗ききょう 《 き きょう 》 いろ の がらん と し た 空そら の 下した を 実にじつに 何なん 万まん という 小さなちいさな 鳥とり ども が 幾いく 組くみ 《 いく くみ 》 も 幾いく 組くみ も めいめい せわしく せわしく 鳴いない て 通っかよっ て 行くいく の でし た 。
「 鳥とり が 飛んとん で 行くいく な 。 」 ジョバンニ が 窓まど の 外そと で 云いいい まし た 。
「 どら 、 」 カムパネルラ も そら を 見み まし た 。 その とき あの や ぐらの 上じょう の ゆるい 服ふく の 男おとこ は 俄にわか か に 赤いあかい 旗はた を あげ て 狂気きょうき 《 きょう き 》 の よう に ふり うごかし まし た 。 すると ぴたっと 鳥とり の 群ぐん は 通らとおら なく なり それ と 同時にどうじに ぴしゃぁんという 潰 《 つぶ 》 れ た よう な 音おと が 川下かわしも の 方ほう で 起っおこっ て それ から しばらく しいんと し まし た 。 と 思っおもっ たら あの 赤帽あかぼう の 信号しんごう 手しゅ が また 青いあおい 旗はた を ふっ て 叫 《 さけ 》 ん で い た の です 。
「 いま こそ わたれ わ たり 鳥とり 、 いま こそ わたれ わ たり 鳥とり 。 」 その 声こえ も はっきり 聞えきこえ まし た 。 それと いっしょ に また 幾いく 万まん という 鳥とり の 群ぐん が そら を まっすぐ に かけ た の です 。 二に 人にん の 顔かお を 出しだし て いる まん中まんなか の 窓まど から あの 女の子おんなのこ が 顔かお を 出しだし て 美しいうつくしい 頬ほお 《 ほほ 》 を かがやか せ ながら そら を 仰おっしゃ 《 あお 》 ぎました 。
「 まあ 、 この 鳥とり 、 たくさん です わ ねえ 、 あら まあ そら の きれい な こと 。 」 女の子おんなのこ は ジョバンニ に はなしかけ まし た けれども ジョバンニ は 生意気なまいき な いや だい と 思いおもい ながら だまっ て 口くち を むすん で そら を 見み あげ て い まし た 。 女の子おんなのこ は 小さくちいさく ほっと 息いき を し て だまっ て 席せき へ 戻もど 《 もど 》 り まし た 。 カムパネルラ が 気の毒きのどく そう に 窓まど から 顔かお を 引っひっ 込こみ 《 こ 》 め て 地図ちず を 見み て い まし た 。
「 あの 人ひと 鳥とり へ 教えおしえ てる ん でしょ う か 。 」 女の子おんなのこ が そっと カムパネルラ に たずね まし た 。
「 わたり 鳥とり へ 信号しんごう し てる ん です 。 きっと どこ から か のろし が あがる ため でしょ う 。 」 カムパネルラ が 少しすこし おぼつかな そう に 答えこたえ まし た 。 そして 車くるま の 中なか は し ぃんとなりました 。 ジョバンニ は もう 頭あたま を 引っ込めひっこめ たかっ た の です けれども 明るいあかるい とこ へ 顔かお を 出すだす の が つらかっ た ので だまっ て こらえ て そのまま 立ったっ て 口笛くちぶえ 《 くち ぶ え 》 を 吹 《 ふ 》 い て い まし た 。
( どうして 僕ぼく 《 ぼく 》 は こんなに かなしい の だろ う 。 僕ぼく は もっと こころ もち を きれい に 大きくおおきく もた なけれ ば いけ ない 。 あすこ の 岸きし の ず うっ と 向うむかう に まるで けむり の よう な 小さなちいさな 青いあおい 火ひ が 見えるみえる 。 あれ は ほんとう に しずか で つめたい 。 僕ぼく は あれ を よく 見み て こころ もち を しずめる ん だ 。 ) ジョバンニ は 熱ねつ 《 ほて 》 って 痛いいたい あ たま を 両手りょうて で 押 《 お さ 》 える よう に し て そっち の 方ほう を 見み まし た 。 ( ああ ほんとう に どこ まで も どこ まで も 僕ぼく と いっしょ に 行くいく ひと は ない だろ う か 。 カムパネルラ だって あんな 女の子おんなのこ と おもしろ そう に 談だん 《 はな 》 し て いる し 僕ぼく は ほんとう に つらい なあ 。 ) ジョバンニ の 眼め は また 泪なみだ 《 なみ だ 》 で いっぱい に なり 天の川あまのがわ も まるで 遠くとおく へ 行っいっ た よう に ぼんやり 白くしろく 見えるみえる だけ でし た 。
その とき 汽車きしゃ は だんだん 川かわ から は なれ て 崖がけ 《 がけ 》 の 上うえ を 通るとおる よう に なり まし た 。 向う岸むこうぎし も また 黒くろ いい ろ の 崖がけ が 川かわ の 岸きし を 下流かりゅう に 下るくだる に したがっ て だんだん 高くたかく なっ て 行くいく の でし た 。 そして ちらっと 大きなおおきな とうもろこし の 木き を 見み まし た 。 その 葉は は ぐるぐる に 縮れちぢれ 葉は の 下した に は もう 美しいうつくしい 緑みどり いろ の 大きなおおきな 苞つと 《 ほう 》 が 赤いあかい 毛け を 吐 《 は 》 い て 真珠しんじゅ の よう な 実み も ちらっと 見えみえ た の でし た 。 それ は だんだん 数かず を 増しまし て 来き て もう いま は 列れつ の よう に 崖がけ と 線路せんろ と の 間ま に ならび 思わずおもわず ジョバンニ が 窓まど から 顔かお を 引っ込めひっこめ て 向う側むこうがわ の 窓まど を 見み まし た とき は 美しいうつくしい そら の 野原のはら の 地平線ちへいせん の はて まで その 大きなおおきな とうもろこし の 木き が ほとんど いち めん に 植えうえ られ て さやさや 風かぜ に ゆらぎ その 立派りっぱ な ちぢれ た 葉は の さき から は まるで ひる の 間かん に いっぱい 日光にっこう を 吸っすっ た 金剛石こんごうせき 《 こん ご うせ き 》 の よう に 露つゆ 《 つゆ 》 が いっぱい について 赤あか や 緑みどり や きらきら 燃えもえ て 光っひかっ て いる の でし た 。 カムパネルラ が 「 あれ とうもろこし だ ねえ 」 と ジョバンニ に 云いいい まし た けれども ジョバンニ は どうしても 気持きもち が なおり ませ ん でし た から ただ ぶっ きり 棒ぼう に 野原のはら を 見み た まま 「 そう だろ う 。 」 と 答えこたえ まし た 。 その とき 汽車きしゃ は だんだん しずか に なっ て いくつ か の シグナルしぐなる と てんてつ 器き の 灯あかり を 過ぎすぎ 小さなちいさな 停車ていしゃ 場じょう に とまり まし た 。
その 正面しょうめん の 青じろいあおじろい 時計とけい は かっきり 第だい 二に 時じ を 示ししめし その 振子ふりこ 《 ふり こ 》 は 風かぜ も なくなり 汽車きしゃ も うごか ず しずか な しずか な 野原のはら の なか に カチッカチッ と 正しくただしく 時とき を 刻んきざん で 行くいく の でし た 。
そして まったく その 振子ふりこ の 音おと の たえ ま を 遠くとおく の 遠くとおく の 野原のはら の はて から 、 かすか な かすか な 旋律せんりつ 《 せんりつ 》 が 糸いと の よう に 流れながれ て 来るくる の でし た 。 「 新しん 世界せかい | 交響楽こうきょうがく 《 こう きょうがく 》 だ わ 。 」 姉あね が ひとり ごと の よう に こっち を 見み ながら そっと 云いいい まし た 。 全くまったく もう 車くるま の 中なか で は あの 黒くろ 服ふく の 丈たけ 高だか 《 たけ た か 》 い 青年せいねん も 誰だれ 《 たれ 》 も みんな やさしい 夢ゆめ 《 ゆめ 》 を 見み て いる の でし た 。
( こんな しずか ない いとこ で 僕ぼく は どうして もっと 愉快ゆかい 《 ゆか い 》 に なれ ない だろ う 。 どうして こんなに ひとり さびしい の だろ う 。 けれども カムパネルラ なんか あんまり ひどい 、 僕ぼく と いっしょ に 汽車きしゃ に 乗っのっ て い ながら まるで あんな 女の子おんなのこ と ばかり 談だん 《 はな 》 し て いる ん だ もの 。 僕ぼく は ほんとう に つらい 。 ) ジョバンニ は また 両手りょうて で 顔かお を 半分はんぶん かくす よう に し て 向うむこう の 窓まど の そ と を 見つめみつめ て い まし た 。 すきとおっ た 硝子がらす 《 ガラスがらす 》 の よう な 笛ふえ が 鳴っなっ て 汽車きしゃ は しずか に 動き出しうごきだし 、 カムパネルラ も さびし そう に 星ほし めぐり の 口笛くちぶえ を 吹きふき まし た 。
「 ええ 、 ええ 、 もうこ の 辺あたり は ひどい 高原こうげん です から 。 」 うし ろ の 方ほう で 誰だれ 《 たれ 》 か と しよ り らしい 人ひと の いま 眼め 《 め 》 が さめ た という 風かぜ で はきはき 談だん し て いる 声こえ が し まし た 。
「 とうもろこし だって 棒ぼう で 二に 尺しゃく も 孔あな 《 あな 》 を あけ て おい て そこ へ 播 《 ま 》 か ない と 生えはえ ない ん です 。 」
「 そう です か 。 川かわ まで は よほど あり ましょ う か ねえ 、 」
「 ええ え え 河かわ まで は 二に 千せん 尺しゃく から 六ろく 千せん 尺しゃく あり ます 。 もう まるで ひどい 峡谷きょうこく 《 きょう こく 》 に なっ て いる ん です 。 」
そう そう ここ は コロラドころらど の 高原こうげん じゃ なかっ たろ う か 、 ジョバンニ は 思わずおもわず そう 思いおもい まし た 。 カムパネルラ は まだ さびし そう に ひとり 口笛くちぶえ を 吹きふき 、 女の子おんなのこ は まるで 絹きぬ で 包んつつん だ 苹果りんご 《 りんご 》 の よう な 顔かお いろ を し て ジョバンニ の 見るみる 方ほう を 見み て いる の でし た 。 突然とつぜん 《 とつぜん 》 とうもろこし が なくなっ て 巨 《 おお 》 き な 黒いくろい 野原のはら が いっぱい に ひらけ まし た 。 新しん 世界せかい 交響楽こうきょうがく は いよいよ はっきり 地平線ちへいせん の はて から 湧ゆう 《 わ 》 き その まっ黒まっくろ な 野原のはら の なか を 一いち 人にん の インデアンいんであん が 白いしろい 鳥とり の 羽根はね を 頭あたま につけ たくさん の 石いし を 腕うで 《 う で 》 と 胸むね に かざり 小さなちいさな 弓ゆみ に 矢や を 番ばん 《 つ が 》 えて 一目散いちもくさん 《 いち も くさん 》 に 汽車きしゃ を 追っおっ て 来るくる の でし た 。
「 あら 、 インデアンいんであん です よ 。 インデアンいんであん です よ 。 ごらん なさい 。 」
黒くろ 服ふく の 青年せいねん も 眼め を さまし まし た 。 ジョバンニ も カムパネルラ も 立ちあがりたちあがり まし た 。
「 走っはしっ て 来るくる わ 、 あら 、 走っはしっ て 来るくる わ 。 追いかけおいかけ て いる ん でしょ う 。 」
「 いいえ 、 汽車きしゃ を 追っおっ てる ん じゃ ない ん です よ 。 猟りょう 《 りょう 》 を する か 踊おどり 《 おど 》 る か し てる ん です よ 。 」 青年せいねん は いま どこ に 居るいる か 忘れわすれ た という 風かぜ に ポケットぽけっと に 手て を 入れいれ て 立ちたち ながら 云いいい まし た 。
まったく インデアンいんであん は 半分はんぶん は 踊っおどっ て いる よう でし た 。 第だい 一いち かける に し て も 足あし の ふみ よう が もっと 経済けいざい も とれ 本気ほんき に も なれ そう でし た 。 にわかに くっきり 白いしろい その 羽根はね は 前まえ の 方ほう へ 倒 《 たお 》 れる よう に なり インデアンいんであん は ぴたっと 立ちどまったちどまっ て すばやく 弓ゆみ を 空そら に ひき まし た 。 そこ から 一いち 羽わ の 鶴つる 《 つる 》 が ふらふら と 落ちおち て 来き て また 走り出しはしりだし た インデアンいんであん の 大きくおおきく ひろげ た 両手りょうて に 落ちこみおちこみ まし た 。 インデアンいんであん は うれし そう に 立ったっ て わらい まし た 。 そして その 鶴つる を もっ て こっち を 見み て いる 影かげ 《 かげ 》 も もう どんどん 小さくちいさく 遠くとおく なり 電でん しん ば しら の 碍子がいし 《 がいし 》 が きらっ きらっ と 続いつづい て 二つふたつ ばかり 光っひかっ て また とうもろこし の 林はやし に なっ て しまい まし た 。 こっち 側がわ の 窓まど を 見み ます と 汽車きしゃ は ほんとう に 高いたかい 高いたかい 崖がけ 《 がけ 》 の 上うえ を 走っはしっ て い て その 谷たに の 底そこ に は 川かわ が やっぱり 幅はば 《 は ば 》 ひろく 明るくあかるく 流れながれ て い た の です 。
「 ええ 、 もうこ の 辺あたり から 下りくだり です 。 何せなにせ こんど は 一いち ぺん に あの 水面すいめん まで おり て 行くいく ん です から 容易ようい じゃ あり ませ ん 。 この 傾斜けいしゃ 《 け いしゃ 》 が ある もん です から 汽車きしゃ は 決してけっして 向うむかう から こっち へ は 来こ ない ん です 。 そら 、 もう だんだん 早くはやく なっ た でしょ う 。 」 さっき の 老人ろうじん らしい 声こえ が 云いいい まし た 。
どんどん どんどん 汽車きしゃ は 降りおり て 行きいき まし た 。 崖がけ の はじ に 鉄道てつどう が かかる とき は 川かわ が 明るくあかるく 下した に のぞけ た の です 。 ジョバンニ は だんだん こころ もち が 明るくあかるく なっ て 来き まし た 。 汽車きしゃ が 小さなちいさな 小屋こや の 前まえ を 通っとおっ て その 前まえ に しょんぼり ひとり の 子供こども が 立ったっ て こっち を 見み て いる とき など は 思わおもわ ず ほう と 叫びさけび まし た 。
どんどん どんどん 汽車きしゃ は 走っはしっ て 行きいき まし た 。 室しつ 中ちゅう 《 へや じゅう 》 の ひと たち は 半分はんぶん うし ろ の 方ほう へ 倒れるたおれる よう に なり ながら 腰掛こしかけ 《 こしかけ 》 に しっかり しがみつい て い まし た 。 ジョバンニ は 思わずおもわず カムパネルラ と わらい まし た 。 もう そして 天の川あまのがわ は 汽車きしゃ の すぐ 横手よこで を いま まで よほど 激げき 《 はげ 》 しく 流れながれ て 来き たらしく ときどき ちらちら 光っひかっ て ながれ て いる の でし た 。 うす あかい 河原かわはら 《 かわら 》 なでしこ の 花はな が あちこち 咲いさい て い まし た 。 汽車きしゃ は ようやく 落ち着いおちつい た よう に ゆっくり と 走っはしっ て い まし た 。
向うむこう と こっち の 岸きし に 星ほし の かたち と つるはし を 書いかい た 旗はた が たっ て い まし た 。
「 あれ 何なに の 旗はた だろ う ね 。 」 ジョバンニ が やっと もの を 云いいい まし た 。
「 さあ 、 わから ない ねえ 、 地図ちず に も ない ん だ もの 。 鉄てつ の 舟ふね が おい て ある ねえ 。 」
「 ああ 。 」
「 橋はし を 架か 《 か 》 ける とこ じゃ ない ん でしょ う か 。 」 女の子おんなのこ が 云いいい まし た 。
「 ああ あれ 工兵こうへい の 旗はた だ ねえ 。 架橋かきょう 《 か きょう 》 演習えんしゅう を し てる ん だ 。 けれど 兵隊へいたい の かたち が 見えみえ ない ねえ 。 」
その 時とき 向う岸むこうぎし ちかく の 少しすこし 下流かりゅう の 方ほう で 見えみえ ない 天の川あまのがわ の 水みず が ぎらっと 光っひかっ て 柱はしら の よう に 高くたかく はねあがり どぉ と 烈れつ 《 はげ 》 しい 音おん が し まし た 。
「 発破はっぱ 《 はっ ぱ 》 だ よ 、 発破はっぱ だ よ 。 」 カムパネルラ は こおどり し まし た 。
その 柱はしら の よう に なっ た 水みず は 見えみえ なく なり 大きなおおきな 鮭さけ 《 さけ 》 や 鱒ます 《 ます 》 が きらっ きらっ と 白くしろく 腹はら を 光らせひからせ て 空中くうちゅう に 抛ほう 《 ほう 》 り 出さださ れ て 円いまるい 輪わ を 描いえがい て また 水みず に 落ちおち まし た 。 ジョバンニ は もう はねあがり たい くらい 気持きもち が 軽くかるく なっ て 云いいい まし た 。
「 空そら の 工兵こうへい 大隊だいたい だ 。 どう だ 、 鱒ます や なんか が まるで こんなに なっ て はねあげ られ た ねえ 。 僕ぼく こんな 愉快ゆかい な 旅たび は し た こと ない 。 いい ねえ 。 」
「 あの 鱒ます なら 近くちかく で 見み たら これ くらい ある ねえ 、 たくさん さかな 居るいる ん だ な 、 この 水みず の 中なか に 。 」
「 小さなちいさな お 魚さかな も いる ん でしょ う か 。 」 女の子おんなのこ が 談だん 《 はなし 》 に つり 込こみ 《 こ 》 まれ て 云いいい まし た 。
「 居るいる ん でしょ う 。 大きなおおきな の が 居るいる ん だ から 小さいちいさい の も いる ん でしょ う 。 けれど 遠くとおく だ から いま 小さいちいさい の 見えみえ なかっ た ねえ 。 」 ジョバンニ は もう すっかり 機嫌きげん 《 き げん 》 が 直っなおっ て 面白おもしろ 《 おもし ろ 》 そう に わらっ て 女の子おんなのこ に 答えこたえ まし た 。
「 あれ きっと 双子ふたご 《 ふた ご 》 の お 星ほし さま の お宮おみや だ よ 。 」 男の子おとこのこ が いきなり 窓まど の 外そと を さして 叫 《 さけ 》 びました 。
右手みぎて の 低いひくい 丘おか 《 おか 》 の 上うえ に 小さなちいさな 水晶すいしょう 《 すいしょ う 》 で でも こさえ た よう な 二つふたつ の お宮おみや が ならん で 立ったっ て い まし た 。
「 双子ふたご の お 星ほし さま の お宮おみや って 何なに だい 。 」
「 あたし 前まえ に なん べ ん も お母さんおかあさん から 聴 《 き 》 い た わ 。 ちゃんと 小さなちいさな 水晶すいしょう の お宮おみや で 二つふたつ なら んで いる から きっと そう だ わ 。 」
「 はなし て ごらん 。 双子ふたご の お 星ほし さま が 何なに し た って の 。 」
「 ぼく も 知っしっ て らい 。 双子ふたご の お 星ほし さま が 野原のはら へ 遊びあそび に で て からす と 喧嘩けんか 《 けんか 》 し た ん だろ う 。 」
「 そう じゃ ない わ よ 。 あの ね 、 天の川あまのがわ の 岸きし に ね 、 おっかさん お話おはなし なすっ た わ 、 … … 」
「 それから 彗星すいせい 《 ほうき ぼ し 》 が ギーギーフーギーギーフー て 云っゆっ て 来き た ねえ 。 」
「 いや だ わ た あ ちゃん そう じゃ ない わ よ 。 それ は べつ の 方ほう だ わ 。 」
「 すると あすこ に いま 笛ふえ 《 ふえ 》 を 吹 《 ふ 》 い て 居るいる ん だろ う か 。 」
「 いま 海うみ へ 行っいっ てら あ 。 」
「 いけ ない わ よ 。 もう 海うみ から あがっ て いらっしゃっ た の よ 。 」
「 そう そう 。 ぼく 知っしっ て ら あ 、 ぼく お はなし しよ う 。 」
✦ Peek川かわ の 向う岸むこうぎし が 俄にわか 《 に わ 》 かに 赤くあかく なり まし た 。 楊 《 や なぎ 》 の 木き や 何なに か も まっ黒まっくろ に すかし 出さださ れ 見えみえ ない 天の川あまのがわ の 波なみ も ときどき ちらちら 針はり の よう に 赤くあかく 光りひかり まし た 。 まったく 向う岸むこうぎし の 野原のはら に 大きなおおきな まっ 赤あか な 火ひ が 燃さもさ れ その 黒いくろい けむり は 高くたかく 桔梗ききょう 《 き きょう 》 いろ の つめた そう な 天てん を も 焦あせ 《 こ 》 が し そう でし た 。 ルビーるびい より も 赤くあかく すきとおり リチウムりちうむ より も うつくしく 酔よい 《 よ 》 っ た よう に なっ て その 火ひ は 燃えもえ て いる の でし た 。
「 あれ は 何なに の 火ひ だろ う 。 あんな 赤くあかく 光るひかる 火ひ は 何なに を 燃やせもやせ ば できる ん だろ う 。 」 ジョバンニ が 云うん 《 い 》 い まし た 。
「 蝎 《 さそり 》 の 火ひ だ な 。 」 カムパネルラ が 又また 《 また 》 地図ちず と 首っ引きくびっぴき し て 答えこたえ まし た 。
「 あら 、 蝎 の 火ひ の こと なら あたし 知っしっ てる わ 。 」
「 蝎 の 火ひ ってな ん だい 。 」 ジョバンニ が きき まし た 。
「 蝎 が やけ て 死んしん だ の よ 。 その 火ひ が いま でも 燃えもえ てる って あたし 何なに べ ん も お父さんおとうさん から 聴いきい た わ 。 」
「 蝎 って 、 虫むし だろ う 。 」
「 ええ 、 蝎 は 虫むし よ 。 だけど いい 虫むし だ わ 。 」
「 蝎 いい 虫むし じゃ ない よ 。 僕ぼく 博物館はくぶつかん で アルコールあるこうる に つけ て ある の 見み た 。 尾お に こんな かぎ が あっ て それ で 螫 《 さ 》 さ れる と 死ぬしぬ って 先生せんせい が 云っゆっ た よ 。 」
「 そう よ 。 だけど いい 虫むし だ わ 、 お父さんおとうさん 斯 《 こ 》 う 云っゆっ た の よ 。 むかし の バルドラ の 野原のはら に 一いち ぴき の 蝎 が い て 小さなちいさな 虫むし や なんか 殺しころし て たべ て 生きいき て い た ん です って 。 すると ある 日ひ い たち に 見附みつけ 《 みつ 》 か って 食べたべ られ そう に なっ た ん です って 。 さそり は 一生けん命いっしょうけんめい | 遁 《 に 》 げ て 遁 げ た けど とうとう い たち に 押 《 お さ 》 えら れ そう に なっ た わ 、 その とき いきなり 前まえ に 井戸いど が あっ て その 中なか に 落ちおち て しまっ た わ 、 もう どうして も あがら れ ない で さそり は 溺 《 お ぼ 》 れ はじめ た の よ 。 その とき さそり は 斯 う 云っゆっ て お 祈いの 《 い の 》 り し た という の 、
ああ 、 わたし は いま まで いくつ の もの の 命いのち を とっ た か わから ない 、 そして その 私わたし が こんど い たち に とら れよ う と し た とき は あんなに 一生けん命いっしょうけんめい にげ た 。 それでも とうとう こんなに なっ て しまっ た 。 ああ なんにも あて に なら ない 。 どうして わたし は わたし の からだ を だまっ て い たち に 呉ご 《 く 》 れ て やら なかっ たろ う 。 そしたら い たち も 一いち 日にち 生きのびいきのび た ろう に 。 どうか 神さまかみさま 。 私わたし の 心こころ を ごらん 下さいください 。 こんなに むなしく 命いのち を すて ず どうか この 次につぎに はまこ と の みんな の 幸こう 《 さいわい 》 の ため に 私わたし の からだ を お つかい 下さいください 。 って 云っゆっ た と いう の 。 そしたら いつか 蝎 はじ ぶん の からだ が まっ 赤あか な うつくしい 火ひ に なっ て 燃えもえ て よる の やみ を 照らしてらし て いる の を 見み た って 。 いま でも 燃えもえ てる って お父さんおとうさん 仰おっしゃ 《 おっしゃ 》 っ た わ 。 ほんとう に あの 火ひ それ だ わ 。 」
「 そう だ 。 見み た ま え 。 そこら の 三角さんかく 標しるべ は ちょうど さそり の 形かたち に ならん で いる よ 。 」
ジョバンニ は まったく その 大きなおおきな 火ひ の 向うむこう に 三つみっつ の 三角さんかく 標しるべ が ちょうど さそり の 腕うで 《 う で 》 の よう に こっち に 五ついつつ の 三角さんかく 標しるべ が さそり の 尾お や かぎ の よう に ならん で いる の を 見み まし た 。 そして ほんとう に その まっ 赤あか な うつくしい さそり の 火ひ は 音おと なく あかるく あかるく 燃えもえ た の です 。
その 火ひ が だんだん うし ろ の 方ほう に なる につれて みんな は 何ともなんとも 云えいえ ず に ぎやかなさまざまの 楽らく の 音おと 《 ね 》 や 草花くさばな の 匂におい 《 におい 》 の よう な もの 口笛くちぶえ や 人々ひとびと の ざわざわ 云ういう 声こえ やら を 聞ききき まし た 。 それ は もう じき ちかく に 町まち か 何なに か が あっ て そこ に お祭おまつり で も ある という よう な 気き が する の でし た 。
「 ケンタウル 露ろ 《 つゆ 》 を ふらせ 。 」 いきなり いま まで 睡ねむ 《 ねむ 》 って い た ジョバンニ の となり の 男の子おとこのこ が 向うむこう の 窓まど を 見み ながら 叫んさけん で い まし た 。
ああ そこ に は クリスマスくりすます トリイとりい の よう に まっ青まっさお な 唐とう 檜ひのき 《 とう ひ 》 か もみ の 木き が たって その 中なか に は たくさん の たくさん の 豆まめ 電でん 燈 《 まめ でん とう 》 が まるで 千せん の 蛍ほたる 《 ほた る 》 でも 集ったかっ た よう に つい て い まし た 。
「 ああ 、 そう だ 、 今夜こんや ケンタウル 祭さい だ ねえ 。 」
「 ああ 、 ここ は ケンタウル の 村むら だ よ 。 」 カムパネルラ が すぐ 云いいい まし た 。 〔 以下いか 原稿げんこう 一いち 枚まい ? なし 〕
✦ Peek「 ボールぼうる 投げなげ なら 僕ぼく 《 ぼく 》 決してけっして はずさ ない 。 」
男の子おとこのこ が 大だい 威い 張ちょう 《 おおい ば 》 り で 云いいい まし た 。
「 もう じき サウザンクロス です 。 おりる 支度したく 《 し たく 》 を し て 下さいください 。 」 青年せいねん が みんな に 云いいい まし た 。
「 僕ぼく も 少しすこし 汽車きしゃ へ 乗っのっ てる ん だ よ 。 」 男の子おとこのこ が 云いいい まし た 。 カムパネルラ の となり の 女の子おんなのこ は そわそわ 立ったっ て 支度したく を はじめ まし た けれども やっぱり ジョバンニ たち と わか れ たく ない よう な よう す でし た 。
「 ここ で おり なけ ぁいけないのです 。 」 青年せいねん は きちっと 口くち を 結んむすん で 男の子おとこのこ を 見おろしみおろし ながら 云いいい まし た 。
「 厭いや 《 いや 》 だい 。 僕ぼく もう少しもうすこし 汽車きしゃ へ 乗っのっ て から 行くいく ん だい 。 」
ジョバンニ が こらえ 兼ねかね て 云いいい まし た 。
「 僕ぼく たち と 一緒いっしょ 《 いっしょ 》 に 乗っのっ て 行こいこ う 。 僕ぼく たち どこ まで だって 行けるいける 切符きっぷ 《 きっぷ 》 持っもっ てる ん だ 。 」
「 だけど あたし たち もう ここ で 降りおり なけ ぁいけないのよ 。 ここ 天上てんじょう へ 行くいく とこ な ん だ から 。 」 女の子おんなのこ が さびし そう に 云いいい まし た 。
「 天上てんじょう へ なんか 行かいか なく たって いい じゃ ない か 。 ぼく たち ここ で 天上てんじょう より も もっと いい とこ を こさえ なけ ぁいけないって 僕ぼく の 先生せんせい が 云っゆっ た よ 。 」
「 だって おっ 母さんかあさん も 行っおこなっ て らっしゃる し それ に 神さまかみさま が 仰おっしゃ 《 お 》 っし ゃるんだわ 。 」
「 そんな 神さまかみさま うそ の 神さまかみさま だい 。 」
「 あなた の 神さまかみさま うそ の 神さまかみさま よ 。 」
「 そう じゃ ない よ 。 」
「 あなた の 神さまかみさま って どんな 神さまかみさま です か 。 」 青年せいねん は 笑いわらい ながら 云いいい まし た 。
「 ぼく ほんとう は よく 知りしり ませ ん 、 けれども そんな ん で なし に ほんとう の たった 一いち 人にん の 神さまかみさま です 。 」
「 ほんとう の 神さまかみさま は もちろん たった 一いち 人にん です 。 」
「 ああ 、 そんな ん で なし に たった ひとり の ほんとう の ほんとう の 神さまかみさま です 。 」
「 だから そう じゃ あり ませ ん か 。 わたくし は あなた 方かた が いま に その ほんとう の 神さまかみさま の 前まえ に わたくし たち と お 会いあい に なる こと を 祈りいのり ます 。 」 青年せいねん は つつましく 両手りょうて を 組みくみ まし た 。 女の子おんなのこ も ちょうど その 通りとおり に し まし た 。 みんな ほんとう に 別れわかれ が 惜 《 お 》 し そう で その 顔かお いろ も 少しすこし 青ざめあおざめ て 見えみえ まし た 。 ジョバンニ は あぶなく 声こえ を あげ て 泣きなき 出で そう と し まし た 。
「 さあ もう 支度したく は いい ん です か 。 じき サウザンクロス です から 。 」
ああ その とき でし た 。 見えみえ ない 天の川あまのがわ の ず うっ と 川下かわしも に 青あお や 橙だいだい 《 だいだい 》 やも う あらゆる 光ひかり で ちりばめ られ た 十字架じゅうじか 《 じゅう じ か 》 が まるで 一いち 本ほん の 木き という 風かぜ に 川かわ の 中なか から 立ったっ て かがやき その 上うえ に は 青じろいあおじろい 雲くも が まるい 環たまき 《 わ 》 に なっ て 後光ごこう の よう に かかっ て いる の でし た 。 汽車きしゃ の 中なか が まるで ざわざわ し まし た 。 みんな あの 北きた の 十字じゅうじ の とき の よう に まっすぐ に 立ったっ て お祈りおいのり を はじめ まし た 。 あっち に も こっち に も 子供こども が 瓜うり 《 うり 》 に 飛ひ びついたときのようなよろこびの 声ごえ や 何なに と も 云いいい よう ない 深いふかい つつましい ためいき の 音おと ばかり きこえ まし た 。 そして だんだん 十字架じゅうじか は 窓まど の 正面しょうめん に なり あの 苹果りんご 《 りんご 》 の 肉にく の よう な 青じろいあおじろい 環たまき の 雲くも も ゆるやか に ゆるやか に 繞にょう 《 めぐ 》 って いる の が 見えみえ まし た 。
「 ハルレヤハルレヤ 。 」 明るくあかるく たのしく みんな の 声こえ は ひびき みんな は その そら の 遠くとおく から つめたい そら の 遠くとおく から すきとおっ た 何なに と も 云えいえ ず さわやか な ラッパらっぱ の 声こえ を きき まし た 。 そして たくさん の シグナルしぐなる や 電でん 燈 の 灯あかり 《 あかり 》 の なか を 汽車きしゃ は だんだん ゆるやか に なり とうとう 十字架じゅうじか の ちょうど ま 向いむかい に 行っいっ て すっかり とまり まし た 。
「 さあ 、 下りるおりる ん です よ 。 」 青年せいねん は 男の子おとこのこ の 手て を ひき だんだん 向うむこう の 出口でぐち の 方ほう へ 歩きあるき 出しだし まし た 。
「 じゃ さよなら 。 」 女の子おんなのこ が ふりかえっ て 二に 人にん に 云いいい まし た 。
「 さよなら 。 」 ジョバンニ は まるで 泣きなき 出しだし たい の を こらえ て 怒いか 《 おこ 》 っ た よう に ぶっ きり 棒ぼう に 云いいい まし た 。 女の子おんなのこ は いかにも つら そう に 眼め 《 め 》 を 大きくおおきく し て も 一度いちど こっち を ふりかえっ て それ から あと は もう だまっ て 出で て 行っいっ て しまい まし た 。 汽車きしゃ の 中なか は もう 半分はんぶん 以上いじょう も 空いあい て しまい 俄にわか 《 に わ 》 か に がらん として さびしく なり 風ふう が いっぱい に 吹 《 ふ 》 き 込こみ 《 こ 》 み まし た 。
そして 見み て いる と みんな は つつましく 列れつ を 組んくん で あの 十字架じゅうじか の 前まえ の 天の川あまのがわ の なぎさ に ひざまずい て い まし た 。 そして その 見えみえ ない 天の川あまのがわ の 水みず を わたっ て ひとり の 神かみ 々 《 こうごう 》 し い 白いしろい きもの の 人ひと が 手て を のばし て こっち へ 来るくる の を 二に 人にん は 見み まし た 。 けれども その とき は もう 硝子がらす 《 ガラスがらす 》 の 呼子よびこ 《 よ びこ 》 は 鳴らさならさ れ 汽車きしゃ は うごき 出しだし と 思うおもう うち に 銀ぎん いろ の 霧きり 《 きり 》 が 川下かわしも の 方ほう から すうっ と 流れながれ て 来き て もう そっち は 何なに も 見えみえ なく なり まし た 。 ただ たくさん の くるみ の 木き が 葉は を さん さん と 光らしひからし て その 霧きり の 中なか に 立ちたち 黄金おうごん 《 きん 》 の 円光えんこう を もっ た 電気でんき | 栗鼠りす 《 りす 》 が 可愛かわい 《 か あい 》 い 顔がお を その 中なか から ちらちら のぞい て いる だけ でし た 。
✦ Peekその とき すうっ と 霧きり が はれ かかり まし た 。 どこ か へ 行くいく 街道かいどう らしく 小さなちいさな 電でん 燈 の 一いち 列れつ に つい た 通りとおり が あり まし た 。 それ は しばらく 線路せんろ に 沿っそっ て 進んすすん で い まし た 。 そして 二に 人にん が その あかし の 前まえ を 通っとおっ て 行くいく とき は その 小さなちいさな 豆まめ いろ の 火ひ は ちょうど 挨拶あいさつ 《 あいさつ 》 でも する よう に ぽかっと 消えきえ 二に 人にん が 過ぎすぎ て 行くいく とき また 点てん 《 つ 》 く の でし た 。
ふりかえっ て 見るみる と さっき の 十字架じゅうじか は すっかり 小さくちいさく なっ て しまい ほんとう に もう そのまま 胸むね に も 吊つ 《 つる 》 さ れ そう に なり 、 さっき の 女の子おんなのこ や 青年せいねん たち が その 前まえ の 白いしろい 渚なぎさ 《 なぎさ 》 に まだ ひざまずい て いる の か それとも どこ か 方角ほうがく も わから ない その 天上てんじょう へ 行っいっ た の か ぼんやり し て 見分けみわけ られ ませ ん でし た 。
ジョバンニ は ああ と 深くふかく 息いき し まし た 。
「 カムパネルラ 、 また 僕ぼく たち 二に 人にん きり に なっ た ねえ 、 どこ まで も どこ まで も 一緒いっしょ に 行こいこ う 。 僕ぼく は もう あの さそり の よう に ほんとう に みんな の 幸こう 《 さいわい 》 の ため なら ば 僕ぼく の からだ なんか 百ひゃく ぺん 灼 《 や 》 い て も かまわ ない 。 」
「 うん 。 僕ぼく だって そう だ 。 」 カムパネルラ の 眼め に は きれい な 涙なみだ 《 なみ だ 》 が うかん で い まし た 。
「 けれども ほんとう の さいわい は 一体いったい 何なに だろ う 。 」 ジョバンニ が 云いいい まし た 。
「 僕ぼく わから ない 。 」 カムパネルラ が ぼんやり 云いいい まし た 。
「 僕ぼく たち しっかり やろ う ねえ 。 」 ジョバンニ が 胸むね いっぱい 新しん らしい 力ちから が 湧ゆう 《 わ 》 く よう に ふう と 息いき を し ながら 云いいい まし た 。
「 あ 、 あすこ 石炭せきたん | 袋ふくろ 《 ぶ くろ 》 だ よ 。 そら の 孔あな 《 あな 》 だ よ 。 」 カムパネルラ が 少しすこし そっち を 避 《 さ 》 ける よう に し ながら 天の川あまのがわ の ひと とこ を 指さしゆびさし まし た 。 ジョバンニ は そっち を 見み て まるで ぎく っと し て しまい まし た 。 天の川あまのがわ の 一いち とこ に 大きなおおきな まっ くら な 孔あな が ど ほん と あい て いる の です 。 その 底そこ が どれほど 深いふかい か その 奥おく 《 おく 》 に 何なに が ある か いくら 眼め を こすっ て のぞい て も なんにも 見えみえ ず ただ 眼め が しんしん と 痛むいたむ の でし た 。 ジョバンニ が 云いいい まし た 。
「 僕ぼく も う あんな 大きなおおきな 暗くら 《 やみ 》 の 中なか だって こわく ない 。 きっと みんな の ほんとう の さいわい を さがし に 行くいく 。 どこ まで も どこ まで も 僕ぼく たち 一緒いっしょ に 進んすすん で 行こいこ う 。 」
「 ああ きっと 行くいく よ 。 ああ 、 あすこ の 野原のはら は なんて きれい だろ う 。 みんな 集ったかっ てる ねえ 。 あすこ が ほんとう の 天上てんじょう な ん だ 。 あっ あすこ に いる の ぼく の お母さんおかあさん だ よ 。 」 カムパネルラ は 俄にわか 《 に わ 》 か に 窓まど の 遠くとおく に 見えるみえる きれい な 野原のはら を 指しさし て 叫 《 さけ 》 びました 。
ジョバンニ も そっち を 見み まし た けれども そこ は ぼんやり 白くしろく けむっ て いる ばかり どうしても カムパネルラ が 云っゆっ た よう に 思わおもわ れ ませ ん でし た 。 何ともなんとも 云えいえ ず さびしい 気き が し て ぼんやり そっち を 見み て い まし たら 向うむこう の 河岸かわぎし に 二に 本ほん の 電信でんしん ば しら が 丁度ちょうど 両方りょうほう から 腕うで 《 う で 》 を 組んくん だ よう に 赤いあかい 腕木うでぎ を つらね て 立ったっ て い まし た 。
「 カムパネルラ 、 僕ぼく たち 一緒いっしょ に 行こいこ う ねえ 。 」 ジョバンニ が 斯 《 こ 》 う 云いいい ながら ふりかえっ て 見み まし たら その いま まで カムパネルラ の 座ざ 《 すわ 》 って い た 席せき に もう カムパネルラ の 形かたち は 見えみえ ず ただ 黒くろ いびろ う ど ばかり ひかっ て い まし た 。 ジョバンニ は まるで 鉄てつ 砲丸ほうがん 《 て っぽう だま 》 の よう に 立ちあがりたちあがり まし た 。 そして 誰だれ 《 たれ 》 に も 聞えきこえ ない よう に 窓まど の 外そと へ からだ を 乗り出しのりだし て 力いっぱいちからいっぱい はげしく 胸むね を うっ て 叫びさけび それ から もう 咽喉いんこう 《 のど 》 いっぱい 泣きなき だし まし た 。 もう そこら が 一いち ぺん に まっ くら に なっ た よう に 思いおもい まし た 。
✦ Peekジョバンニ は 眼め を ひらき まし た 。 もと の 丘おか 《 おか 》 の 草くさ の 中なか に つかれ て ねむっ て い た の でし た 。 胸むね は 何だかなんだか おかしく 熱ねつ 《 ほて 》 り 頬ほお 《 ほほ 》 に は つめたい 涙なみだ が ながれ て い まし た 。
ジョバンニ は ばね の よう に はね 起きおき まし た 。 町まち は すっかり さっき の 通りとおり に 下した で たくさん の 灯あかり を 綴つづり 《 つづ 》 って は い まし た が その 光ひかり は なんだか さっき より は 熱しねっし た という 風かぜ でし た 。 そして たった いま 夢ゆめ 《 ゆめ 》 であるい た 天の川あまのがわ も やっぱり さっき の 通りとおり に 白くしろく ぼんやり かかり まっ黒まっくろ な 南みなみ の 地平線ちへいせん の 上うえ で は 殊こと 《 こと 》 に けむっ た よう に なっ て その 右みぎ に は 蠍さそり 座ざ 《 さそり ざ 》 の 赤いあかい 星ほし が うつくしく きらめき 、 そら ぜんたい の 位置いち は そんなに 変っかわっ て も い ない よう でし た 。
ジョバンニ は 一いち さん に 丘おか を 走っはしっ て 下りおり まし た 。 まだ 夕ごはんゆうごはん を たべ ない で 待っまっ て いる お母さんおかあさん の こと が 胸むね いっぱい に 思いださおもいださ れ た の です 。 どんどん 黒いくろい 松まつ 《 まつ 》 の 林はやし の 中なか を 通っとおっ て それ から ほ の 白いしろい 牧場ぼくじょう の 柵しがらみ 《 さく 》 を まわっ て さっき の 入口いりぐち から 暗いくらい 牛舎ぎゅうしゃ の 前まえ へ また 来き まし た 。 そこ に は 誰だれ か が いま 帰っかえっ た らしく さっき なかっ た 一つひとつ の 車くるま が 何なに か の 樽たる 《 たる 》 を 二つふたつ 乗っけのっけ て 置いおい て あり まし た 。
「 今晩こんばん は 、 」 ジョバンニ は 叫びさけび まし た 。
「 はい 。 」 白いしろい 太いふとい ず ぼん を はい た 人ひと が すぐ 出で て 来き て 立ちたち まし た 。
「 何なに の ご用ごよう です か 。 」
「 今日きょう 牛乳ぎゅうにゅう が ぼく の ところ へ 来こ なかっ た の です が 」
「 あ 済みすみ ませ ん でし た 。 」 その 人ひと は すぐ 奥おく へ 行っいっ て 一いち 本ほん の 牛乳ぎゅうにゅう 瓶びん 《 ぎゅうにゅうびん 》 を もっ て 来き て ジョバンニ に 渡わたり 《 わた 》 し ながら また 云いいい まし た 。
「 ほんとう に 、 済みすみ ませ ん でし た 。 今日きょう は ひる す ぎうっかりしてこうしの 柵しがらみ を あけ て 置いおい た もん です から 大将たいしょう 早速さっそく 親しん 牛うし の ところ へ 行っいっ て 半分はんぶん ばかり 呑んのん で しまい まし て ね … … 」 その 人ひと は わらい まし た 。
「 そう です か 。 では いただい て 行きいき ます 。 」
「 ええ 、 どうも 済みすみ ませ ん でし た 。 」
「 いいえ 。 」
ジョバンニ は まだ 熱いあつい 乳ちち の 瓶びん を 両方りょうほう の て の ひ ら で 包むつつむ よう に もっ て 牧場ぼくじょう の 柵しがらみ を 出で まし た 。
そして しばらく 木き の ある 町まち を 通っとおっ て 大通りおおどおり へ 出で て また しばらく 行きいき ます と みち は 十文字じゅうもんじ に なっ て その 右手みぎて の 方ほう 、 通りとおり の はずれ に さっき カムパネルラ たち の あかり を 流しながし に 行っいっ た 川かわ へ かかっ た 大きなおおきな 橋はし の や ぐらが 夜よる の そら に ぼんやり 立ったっ て い まし た 。
ところが その 十字じゅうじ に なっ た 町まち か ど や 店みせ の 前まえ に 女おんな たち が 七なな 八はち 人にん ぐらい ずつ 集っつどっ て 橋はし の 方ほう を 見み ながら 何なに か ひそひそ 談だん 《 はな 》 し て いる の です 。 それから 橋はし の 上うえ に も いろいろ な あかり が いっぱい な の でし た 。
ジョバンニ は なぜ か さ あっと 胸むね が 冷たくつめたく なっ た よう に 思いおもい まし た 。 そして いきなり 近くちかく の 人ひと たち へ
「 何なに か あっ た ん です か 。 」 と 叫ぶさけぶ よう に きき まし た 。
「 こども が 水みず へ 落ちおち た ん です よ 。 」 一いち 人にん が 云いいい ます と その 人ひと たち は 一斉いっせい 《 いっせい 》 に ジョバンニ の 方ほう を 見み まし た 。 ジョバンニ は まるで 夢中むちゅう で 橋はし の 方ほう へ 走りはしり まし た 。 橋はし の 上うえ は 人ひと で いっぱい で 河かわ が 見えみえ ませ ん でし た 。 白いしろい 服ふく を 着き た 巡査じゅんさ 《 じゅん さ 》 も 出で て い まし た 。
ジョバンニ は 橋はし の 袂たもと 《 たもと 》 から 飛ぶとぶ よう に 下した の 広いひろい 河原かわら へ おり まし た 。
その 河原かわら の 水際みずぎわ 《 み ず ぎわ 》 に 沿っそっ て たくさん の あかり が せわしく のぼっ たり 下っくだっ たり し て い まし た 。 向う岸むこうぎし の 暗いくらい ど て に も 火ひ が 七つななつ 八つやっつ うごい て い まし た 。 その まん中まんなか を もう 烏瓜からすうり 《 からす うり 》 の あかり も ない 川かわ が 、 わずか に 音おと を たて て 灰はい いろ に しずか に 流れながれ て い た の でし た 。
河原かわはら の いちばん 下流かりゅう の 方ほう へ 州しゅう 《 す 》 の よう に なっ て 出で た ところ に 人ひと の 集りあつまり が くっきり まっ 黒くろ に 立ったっ て い まし た 。 ジョバンニ は どんどん そっち へ 走りはしり まし た 。 すると ジョバンニ は いきなり さっき カムパネルラ と いっしょ だっ た マルソ に 会いあい まし た 。 マルソ が ジョバンニ に 走りはしり 寄っよっ て き まし た 。
「 ジョバンニ 、 カムパネルラ が 川かわ へ はいっ た よ 。 」
「 どうして 、 い つ 。 」
「 ザネリ が ね 、 舟ふね の 上うえ から 烏からす うり の あかり を 水みず の 流れるながれる 方ほう へ 押 《 お 》 してやろ う と し た ん だ 。 その とき 舟ふね が ゆれ た もん だ から 水みず へ 落っおっ こっ たろ う 。 すると カムパネルラ が すぐ 飛びこんとびこん だ ん だ 。 そして ザネリ を 舟ふね の 方ほう へ 押しおし て よこし た 。 ザネリ は カトウ に つかまっ た 。 けれども あと カムパネルラ が 見えみえ ない ん だ 。 」
「 みんな 探しさがし てる ん だろ う 。 」
「 ああ すぐ みんな 来き た 。 カムパネルラ の お父さんおとうさん も 来き た 。 けれども 見附みつけ 《 みつ 》 から ない ん だ 。 ザネリ は うち へ 連れつれ られ て っ た 。 」
ジョバンニ は みんな の 居るいる そっち の 方ほう へ 行きいき まし た 。 そこ に 学生がくせい たち 町まち の 人ひと たち に 囲まかこま れ て 青じろいあおじろい 尖とが 《 と が 》 っ た あご を し た カムパネルラ の お父さんおとうさん が 黒いくろい 服ふく を 着き て まっすぐ に 立ったっ て 右手みぎて に 持っもっ た 時計とけい を じっと 見つめみつめ て い た の です 。
みんな も じっと 河かわ を 見み て い まし た 。 誰だれ 《 たれ 》 も 一言ひとこと も 物もの を 云ういう 人ひと も あり ませ ん でし た 。 ジョバンニ は わくわく わくわく 足あし が ふるえ まし た 。 魚さかな を とる とき の アセチレンあせちれん ランプらんぷ が たくさん せわしく 行っいっ たり 来き たり し て 黒いくろい 川かわ の 水みず は ちらちら 小さなちいさな 波なみ を たて て 流れながれ て いる の が 見えるみえる の でし た 。
下流かりゅう の 方ほう は 川かわ は ば 一ぱいいっぱい 銀河ぎんが が 巨 《 おお 》 きく 写っうつっ て まるで 水みず の ない そのまま の そら の よう に 見えみえ まし た 。
ジョバンニ は その カムパネルラ は もう あの 銀河ぎんが の はずれ に しか い ない という よう な 気き が し て しかた なかっ た の です 。
けれども みんな は まだ 、 どこ か の 波なみ の 間ま から 、
「 ぼく ずいぶん 泳いおよい だ ぞ 。 」 と 云いいい ながら カムパネルラ が 出で て 来るくる か 或ある 《 ある 》 い は カムパネルラ が どこ か の 人ひと の 知らしら ない 洲しゅう に でも 着いつい て 立ったっ て い て 誰だれ か の 来るくる の を 待っまっ て いる か という よう な 気き が し て 仕方しかた ない らしい の でし た 。 けれども 俄にわか 《 に わ 》 か に カムパネルラ の お父さんおとうさん が きっぱり 云いいい まし た 。
「 もう 駄目だめ 《 だめ 》 です 。 落ちおち て から 四よん 十じゅう 五ご 分ふん たち まし た から 。 」
ジョバンニ は 思わずおもわず かけよっ て 博士はかせ の 前まえ に 立ったっ て 、 ぼく は カムパネルラ の 行っおこなっ た 方ほう を 知っしっ て い ます ぼく は カムパネルラ と いっしょ に 歩いあるい て い た の です と 云おいお う と し まし た が もう のど が つまっ て 何なに と も 云えいえ ませ ん でし た 。 すると 博士はかせ は ジョバンニ が 挨拶あいさつ 《 あいさつ 》 に 来き た と でも 思っおもっ た もの です か 、 しばらく しげしげ ジョバンニ を 見み て い まし た が
「 あなた は ジョバンニ さん でし た ね 。 どうも 今晩こんばん は ありがとう 。 」 と 叮 《 てい 》 ねい に 云いいい まし た 。
ジョバンニ は 何なに も 云えいえ ず に ただ おじぎ を し まし た 。
「 あなた の お父さんおとうさん は もう 帰っかえっ て い ます か 。 」 博士はかせ は 堅けん 《 かた 》 く 時計とけい を 握にぎ 《 にぎ 》 っ た まま また きき まし た 。
「 いいえ 。 」 ジョバンニ は かすか に 頭あたま を ふり まし た 。
「 どう し た の か なあ 。 ぼく に は 一昨日おととい 《 おととい 》 大だい へん 元気げんき な 便りたより が あっ た ん だ が 。 今日きょう あたり もう 着くつく ころ な ん だ が 。 船ふね が 遅おそ 《 おく 》 れ た ん だ な 。 ジョバンニ さん 。 あした 放課後ほうかご みなさん と うち へ 遊びあそび に 来き て ください ね 。 」
そう 云いいい ながら 博士はかせ は また 川下かわしも の 銀河ぎんが の いっぱい に うつっ た 方ほう へ じっと 眼め を 送りおくり まし た 。
ジョバンニ は もう いろいろ な こと で 胸むね が いっぱい で なんにも 云えいえ ず に 博士はかせ の 前まえ を はなれ て 早くはやく お母さんおかあさん に 牛乳ぎゅうにゅう を 持っもっ て 行っいっ て お父さんおとうさん の 帰るかえる こと を 知らせよしらせよ う と 思うおもう と もう 一目散いちもくさん に 河原かわら を 街まち の 方ほう へ 走りはしり まし た 。
✦ Peek